2001年は〈円谷英二生誕100年〉の年だったのか。そういえば関連書が何冊も刊行されたっけ。何冊か購入している。思えば21世紀最初の年は特撮に関して希望にあふれていた。
 ウルトラマンの新シリーズはTVと映画を連動させる新しい試み。それはよかったのだけど……いろいろあったなあ。

 【おまけ】に登場する男の子と女の子、もう成人式を迎えたのだろうか。

     ◇

2001/07/27

 「劇場版ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT」(上野セントラル3)  

 円谷英二生誕100年そしてウルトラマン誕生35周年の今年、21世紀最初のウルトラマンのネーミングがウルトラマンコスモスだなんて。いったい誰がこのネーミングを考え、どういう経緯で円谷プロ内のGOサインが出たのだろう。ウルトラマンの後に〈コ〉が続くなんてその昔のギャグのネタそのまんまではないか。

 あるいはなぜコスモスという4文字なのか。エースから始まったウルトラマン〇〇〇のネーミング(当初はかなり違和感があったのだが、今では当たり前になってしまった)は3文字という暗黙の了解があった。平成シリーズも「ティガ」「ダイナ」「ガイア」とそれぞれサマになっていた。4文字だとどうにも語呂が悪い。

 コスモスには秩序という意味がある。カオス(混沌)に対するコスモス(秩序・調和)。狙いはよくわかる。コスモスにメッセージを込めてタイトルに冠したいのなら「ウルトラマン THE HERO コスモス」とか、あるいは「ウルトラマンCOSMOS」「ウルトラマン☆コスモス」等、表記に工夫を凝らしてほしかった。  

 いつもは春休みに公開されるウルトラマンの劇場版が夏休みに変更になったのは、先に始まったTVシリーズと大いに関係がある。  
 TVシリーズの主人公ムサシの小学生時代を舞台に、ウルトラマンの存在を信じる少年とウルトラマンの最初の出会いを描く映画だという。
 監督が第一期「ウルトラ」シリーズのメイン監督だった飯島敏宏というのもわくわくもの(脚本も千束北男!)なのだが、ウルトラマンの存在を信じる少年が主人公というところに昔の自分の姿を見た思いがしてこの映画はぼくにとって特別なものになるのではないかと思えた。

 「ウルトラマン」が放映されていた頃、僕は小学1年生だった。毎週日曜日の午後7時はまさに黄金時間だった。もちろん「ウルトラマン」は作り物だということはわかっていた。特撮シーンはミニチュアセットで怪獣やウルトラマンのぬいぐるみを着た人間が演技していることは十分理解していた。にもかかわらず宇宙のどこかにはウルトラマンという正義のヒーローがいると信じていた。TVのウルトラマンは架空の物語、でもウルトラマンは本当にいるんだ、と。
 その証拠にクリスマスのプレゼントはフラッシュビームが欲しいと空に祈ればウルトラマンが届けてくれると考えて、友人ふたりと休み時間校舎の窓から身を乗り出して一所懸命手をあわせていたことは今でもしっかり覚えている。

 「ウルトラマンティガ」の番外編、「ウルトラの星」で、特撮の神様・円谷英二が実際にウルトラマンに会って、ヒーロー・ウルトラマンを創造したというエピソードを描いたのは、子どもたちにウルトラマンの存在を信じていてほしいスタッフの思いがあったのだな、と自分の幼い経験と照らし合わせてみてもその願いは決して大人たちの無理強いではなかったと思っている。
 そんなわけで「劇場版ウルトラマンコスモス」には35年前初めてウルトラマンを見たときの感激を蘇らせてくれる、そんな期待感があった。  

 本当なら翌日の土曜日早起きして丸の内プラゼールの大スクリーンで鑑賞するはずだった。たまたま時間が空いたため上野セントラル3という小さな小さな映画館(ほんと、スクリーンが小さくてがっくり)で観たのがいけなかったのか、はたまた観客が僕を含めて6人、それも後席の父子はクライマックス前に子どもの「帰りたい」攻撃で退席というガラガラの中で観たのが災いしたのか、僕は少しもノレなかった。  

 冒頭、地球圏外におけるバルタン星人とコスモスの空中戦はCGバレバレといえ、動きのある戦い(CGが導入されるまではアップは着ぐるみで動きがあるにもかかわらず、ロングになるとミニチュアのまったく動きのないただ抱き合ったままの絵になるパターンだった)には目を瞠った。
 コスモスがエネルギーを消耗して地球に落下、動けなくなっているところに主人公の少年がやってきて、黒澤監督「羅生門」の森の撮影シーンよろしく鏡の反射を利用し太陽光を一箇所に集めて助けるくだりまではそれなりに面白くスクリーンを見つめていた。

 しかし、コスモスが少年を手のひらに乗せ空を飛ぶシーンから急に興ざめしてしまった。前半の山場、感動シーンのはずなのにウルトラマンと一緒に空を飛ぶ少年の喜びが全然こちらに伝わってこない。映像的にも飛翔感、爽快感が感じられない。
 同じシチュエーションがTV「ウルトラマンガイア」の「ガイアに会いたい」にあったが、TVの方がウルトラマンと一緒に飛行遊泳している子どもたちの生き生きした表情を捉えていたように思う。総じて出てくる子どもたちに魅力がなかった。  

 ウルトラマンシリーズのもうひとつの魅力であるさまざまなメカを有する特捜隊は、今回SRCという名称、メンバーはそれぞれ別に職業を持ち、緊急事態の時だけ招集、怪獣や宇宙人に対し攻撃ではなく保護を目的に活動するボランティア団体という設定。おもちゃ修理のおじさんをトップに据えたこの団体は大人の目からするとリアリティがないけれど、子どもにとっては秘密基地みたいでいいのではないか(舞の海の素人演技に何とかこらえたものの、SRCメンバーのヘルメット姿に脱力した)。

 ボランティアでも怪獣保護でもいい。組織がどのように運営されているか簡単でいいから説明してほしい。怪獣、宇宙人はすべからく排除する方針の、敵役・防衛隊(シャーク)との関係、指揮系統はどうなっているのか。突如蘇った怪獣(呑龍)をユーモアたっぷりに威嚇していると突然シャークの戦闘機が飛来し、隊長同士のやりとりだけでバトンタッチしてしまう様に唖然。

 少年がコスモスからもらった青い石をめぐってシャーク隊員と子どもたちの間で繰り広げられるドタバタもテンポがいまいちでどうもしっくりこない。  
 チャイルドバルタンが少女にのり移ってシャーク隊長の部屋に忍び込み青い石を取り返すシークエンスにはどんな意味があるのか。だいたいなぜチャイルドバルタンが少女にのり移らなければいけないのか。少女ひとりでどうやって厳重な警戒をしているであろう防衛隊基地に忍び込めるのか。チャイルドバルタンが姿でも消せばすむことではないのか。  
 地球人、バルタン星人とも子どもたちの気持ちを踏みにじり、大人が勝手に戦ってばかりいるという構図も釈然としなかった。言いたいことはわかるけれど、大人、子ども双方の気持ちが少しも描かれていないから大人=悪、子ども=善という単純な図式が鼻についてしまう。  
 後半になるとさかんに「夢を持つ」ことの大切さが連発される。80年代の「愛」同様、何度も口にされると嘘っぽくなる。  

 肝心の特撮シーンはというと、確かにCGを使って、今まで見たことがないようなウルトラマンとネオバルタンの戦いを見せてくれる。ただ実写とCGの差がありすぎて、実写からCGに切り替わるたびにがっかりきてしまった。昔、興奮して特撮シーンに夢中になっていて、ふとピアノ線が見えてしまった時の残念なくやしい気持ちといえばいいだろうか。特技監督の佐川和夫はTVの平成シリーズで往年の円谷特撮(ミニチュアや吊りを重視)を実践していた方なので、CGの多用が信じられなかった。

 僕にCGに対する偏見はない。迫力あるビジュアルを得られるのならCGだろうがなんだろうがどんどん導入すべきだと思っている。怪獣やウルトラマンがCGだってかまわない。しかしこの映画のCGはリアルなアニメーションでしかないから不満なのだ。ラスト、何匹(?)も登場するチャイルドバルタンはアニメ以外の何物でもなかった。  

 この数年、「ティガ&ダイナ」「ティガ&ダイナ&ガイア」「ウルトラマンティガ THE FINAL ODYSSEY」と観終わるたびに(不満はあったものの)感動なり、興奮なり、ビジュアルショックなり、何かしら得るものがあった。残念ながら「劇場版ウルトラマンコスモス」はドラマにも特撮にも堪能できなかった。  

 ウルトラマンは子どもたちのもの、子どもたちが熱中してスクリーンを見つめていればそれでいいではないか、というもう一人の自分の声が聞こえる。子どもたちが楽しんでいるならそれはそれでいい。でも同伴の親はどうなのかな。  
 確かに2回目の成人式をむかえてからというもの日本的な伝統芸ともいうべき特撮(1/25サイズのミニチュアセットにおける着ぐるみのプロレス)に興味がなくなってきた。等身大あるいは50mクラスのヒーロー(怪獣)しかいない世界に飽き飽きしてきたのだ。
 今、「仮面ライダーアギト」にはまっているけれど、あくまでもミステリータッチのドラマ重視の作風に共感しているのであって、仮面ライダーや怪人の登場にはほとんど興味がない。たぶん「ウルトラマンコスモス」のTVシリーズもこれまでのように熱中することはないと思う。

 5m、10mの怪物が暴れまわるところを見てみたい。身長3mのヒーローが誕生してもいいではないか。特撮スタッフの作業は大変になるだろうが、CGやデジタル技術の発達でその手の映像も容易に可能になるのではないか。
 これまでの特撮フォーマットを打破する斬新な番組(映画)が生まれることを期待したい……と、これはロートル特撮ファンのボヤキでしかないのだろうか。

     ◇

2002/08/25

 「ウルトラマンコスモス2 THE BLUE PLANET」(シネ・リーブル池袋)  

 前作「ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT」は少年とウルトラマンとの出逢い、ふれあいを描く内容で、監督が「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」のメイン監督であり、最初にウルトラマンのキャラクターを映像に定着させた実績を持つ飯島敏宏監督だったにもかかわらずドラマも特撮も全然ノレなかった。広島フォーク村の「古い船を今動かせるのは古い水夫じゃないだろう」のアルバムタイトルが頭をかすめたものだ。

 ただしこの映画、ファンには評価が高い。思うに、平成の「ウルトラマン」映画に対して僕が求めるものとファンのそれがかなり違ってきているような気がする。あくまでもインターネットの特撮サイトのBBSに書き込まれる内容での判断なのだが。  
 3人のウルトラマンが共演する「ティガ&ダイナ&ガイア 超時空の大決戦」はその世界観が受け入れられないと思ったら、皆大絶賛。悪評プンプンの「ウルトラマンティガ THE FINAL ODYSSEY」は逆に見事にハマった。    

 本作もロードショーされてからの意見はあまり芳しいものではなかった。  
 TVシリーズ自体が平成3部作に比べて、ファンから手厳しい評価がくだされているということもあるかもしれない。僕自身TVの「コスモス」はそれほど夢中になっていない。(「コスモス」についてはすでに切通理作「ある朝世界が死んでいた」の項で書いているのでここでは言及しない。)公開前のゴタゴタもあった。  

 ストーリーにはもともと興味なかった。今回劇場に足を運んだのは監督(&特技監督)が北浦嗣巳だからにつきる。  
 「ウルトラマンガイア」の第6話「あざ笑う眼」の冒頭、特捜チームの演習ドックファイトが描かれるのだが、そのスピード感、爽快感といったらこれまでの「ウルトラ」になかったものだった。「トップガン」みたいな飛行シーンが観られるなんて! 興奮した。ストーリーなんかどうでもいいからこのまま30分ずっとこのドックファイトを見たいと思った。怪獣が登場すると、工業地帯で暴れる怪獣を実写との合成を遠景でとらえたショットが非常にリアルだった。  
 結局ガイア全51話で、この回を超える特撮ショットにお目にかかることはできなかった。この特撮を担当したのが北浦監督である。  
 とはいえ、今回は一人で行くのに気が引けた。「仮面ライダーアギト」の劇場映画を一緒に観た特撮仲間の友人を誘ったら、OKしてくれた。ちなみにこの友人、「ガイア」における特撮の北浦(特技)監督の実績に同意見の持主である。  

 夏休みの日曜日の午後、劇場は親子連れで大賑わい。何と入口で本物のコスモスが出迎えてくれるのである。子どもを連れていれば子どもに握手させるついでに僕も握手しちゃうのに……。    

 TVシリーズのコスモスに変身する主人公ムサシの少年時代を描いたのが前作「ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT」、「ウルトラマンコスモス2 THE BLUE PLANET」はTVシリーズのその後、ムサシがチームEYESを辞め、宇宙飛行士として活躍している時代を舞台にしている。  
 映画とTVが連動して同一青年の成長を描く構成はこれまでにない方法で好感を持てる。    

 映画は凶悪な宇宙生物に惑星を滅ぼされ、地球に逃亡、海底で密かに生命の誕生の研究をしている宇宙人が、ムサシたち地球人と協力して、地球を襲ってきた宇宙生物に立ち向かう話。  

 思わず背中がこそばゆくなるような台詞もあるが、「コスモス」のテーマ、生命の尊厳、夢や勇気の大切さを謳っている。ドラマは長すぎず、短すぎず、こんなものではないかな。前作から10年たっているのに、ムサシの父親(赤井英和)が全然変わっていないのはご愛嬌。
 人類絶体絶命のピンチに少年が主人公に「ウルトラマンがやってきてくれるよね」と語りかけるシーンは、映画のたびに観ているから「いい加減やめてくれ」って感じだが、この手の映画には欠かせないものなのかも。
 
 特撮はかなり斬新かつ新鮮だった。サイパンの街を破壊するシーンは実景に怪獣を合成するショットを多用し迫力あるものになっている。  
 後半の北九州の工業地帯で怪獣と闘うコスモスを遠景でとらえたショットに驚愕。まさしく巨大なウルトラマンと怪獣なのだ。個人的な意見かもしれないが、ミニチュアセット上で怪獣とウルトラマンをバストサイズの〈神の視点〉で狙うショットはやめてほしい。  
 CGも効果的に使用されていた。敵怪獣も善なる怪獣もCGで描かれた飛行形体の方が心ひかれるものがあった。  
 ウルトラ(マン)シリーズ初の海外(サイパン)ロケということで、海(海面および海底)での戦いをもっと観たかった。〈チームSEA〉なる新チームが海で活躍するシーンがないのは寂しい。  
 このサイパンロケのシーンで気になったのは、海も空も突き抜けるような美しさを感じられなかったこと。映像がどうもフラットなのだ。まるでビデオをフィルムにしたような。この映画もデジタルカメラ使用なのかとエンディングロールに注意しても、その旨の表記はなかった。目の錯覚か?    


 【おまけ】  

 映画終了後、場内が明るくなってから隣の両親と子ども(男の子)の会話
 母「××(男の子の名)、寝てたでしょ!」
 父「本当か? ××」
 子「……(うなづく)」
 母「××が観たいっていうから連れてきたのに、何よ。お母さん、眠いの我慢して観てたのよ」  

 ロビーにて、母親と子ども(女の子)の会話
 子「(泣いている)」
 母「どうしたの△△ちゃん?」
 子「(両手で涙をぬぐっている)」
 母「感動して泣いているの?」
 子「(うなづく)」 




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Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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