「ジュラシック・ワールド」を観る会は20日に開催することになった。
 TOHOシネマズ新宿、19時30分の回。3D上映。
 参加したい人、この指とまれ!

     ◇

2002/12/21

 「ゴジラ×メカゴジラ」(日劇2)  

 前作「怪獣総攻撃」がモスラとキングギドラ、そして今回メカゴジラ。前シリーズも「vsキングギドラ」、「vsモスラ」、「vsメカゴジラ」と続いた。ゴジラの相手役はこの3匹(?)しかいないのか。平成シリーズで、この3匹が登場すると興行成績が良かったからなのだろうが、もううんざりだ。
 
 特にメカゴジラはなあ……。僕は昭和のゴジラシリーズ末期に登場し、それなりに人気を呼んだこのメカ怪獣との相性が悪い。  
 「キングコングの逆襲」に登場したメカニコングが大好きだったにもかかわらず、メカゴジラの、フォルムも存在意義も好きになれなかった。
 ゴジラ映画にロボット怪獣が登場することに違和感がある。特に昭和シリーズの後半、定番になってしまった宇宙人(敵)に操られて暴れる怪獣には興味がない。怪獣も自然の一部。怪獣映画、特にゴジラシリーズに対してそんな思いがあるからだ。  

 平成シリーズで蘇ったメカゴジラは、かつてのファンには評判が悪かったようだが、逆に僕は気に入った。造型自体昭和のそれよりいいと思っているが、そんなことはどうでもよかった。対ゴジラ兵器という存在が新鮮だった。何度も書いているように、僕はもう着ぐるみ然とした怪獣同士の肉弾戦にほとほと愛想がつきている。怪獣映画に求めるのは怪獣出現の恐怖、人間対怪獣の攻防、そのスペクタクル、サスペンスである。
 「ゴジラVSメカゴジラ」には対ゴジラ兵器のメカゴジラを使って、どう人間がゴジラに戦いを挑むのか、どんな作戦を展開させるのか、という点に大いに期待して、それはある程度満たされた。
 
 とはいえ、人間が対ゴジラ兵器としてメカゴジラを作り出すというのは設定上無理がある。いや、どう考えてもおかしい。  
 相手は最新兵器をものともしない超生命体なのだ。そんな怪獣を倒すための兵器が二足歩行のロボットなんて、安定性が悪くてしょうがない。肉弾戦になって倒れたらもうそれでおしまいだ。ゴジラに似せたフォルムも戦闘にまったく意味をなさない。そんな兵器製造を政府が認めるはずがないではないか。
 
 好きじゃないといいながらこう書くのも変なのだが、昭和のメカゴジラこそ、その存在意義が理にかなっている。宇宙人が地球征服のため、地球人を欺こうと偽ゴジラを作り出す。見た目は本物と変わらない。しかし、〈正義の怪獣〉ゴジラと対峙しその皮膚がはがされるやメタリックのボディを持つメカゴジラが現れるというもの。宇宙人が作るとか、あるいはマッドサイエンティストとか、とにかく悪側の人物がその製造過程に関与していなければメカゴジラって存在しないと思うのだ。  
 まあ、最初にメカゴジラありきの映画にマジに反論しても仕方ないのだが。  

 メカゴジラに対して複雑な思いのある僕であるが最新作「ゴジラ×メカゴジラ」はかなりの面白さであった。興奮した。手塚監督は、前作「ゴジラVSメガギラス G消滅作戦」」の何が悪かったかを十分反省、検討して本作に取りかかったとおぼしい。  

 1954年に日本に上陸して猛威を振るったゴジラ以降、生態系の崩れによるたび重なる巨大生物の来襲を経て、陸海空のほかに対特殊生物自衛隊が組織された架空の世界。
 1999年に再び上陸したゴジラに対して、迎撃する特生自衛隊だがまったく歯がたたない。そこで2003年、日本の第一線で活躍する科学者の頭脳を結集して対ゴジラ兵器〈機龍〉を開発。そこに三たび、ゴジラが上陸してくる。機龍を遠隔操縦するのが、本映画のヒロイン(釈由美子)だ。  
 メカゴジラはあくまでも科学者(宅麻伸)の娘(小野寺華那)が命名した愛称であり、劇中の正式名称は機龍(MFS-3)というのがいかに自衛隊らしくていい。54年にオキシジェン・デストロイヤーによって海の藻屑と消えたゴジラの骨から採取したDNAとそのフォルムから開発され、ゴジラ迎撃には最も適していると政府高官に言わせているが、どう贔屓めにみてもそうは見えない(しつこいねオレも)。

 とにかくこの映画、オープニング(1999年の攻防)が最高である。特生自衛隊の誇るメーサー車が最初にスクリーンに登場するシーンのカット割りにしびれた。
 全体的には、役者、スタッフ、映像すべてにおいて平成ガメラ、平成ウルトラマン、新世紀仮面ライダーを取り込んだという印象。
 「これは演習ではない」の台詞、夕陽をバックにした機龍。ジェット噴射で上空から緊急着陸する機龍。その着陸でゴジラをなぎ倒し看護婦と少女の命を救うところなんてまさしくウルトラマンだ。
 特撮シーンもゴジラと機龍のバトルでたまに中途半端なアングルが見られるものの総じて出来がいい。
 釈由美子もTVのイメージを払拭する演技でヒロイン像を作り出した。
 俳優陣の中では文部科学省事務次官を演じた加納幸和が印象深い。
 余談だが、ヒロインの上司、〈機龍隊〉隊長役の高杉亘を見ると、僕はどうしてもタッパの高い硬派のナンチャンを想像してしまう。

 今回、大島ミチルの音楽だけで押し切ったのは評価したい。これまで他の音楽家が担当してもどこかで御大・伊福部昭のゴジラテーマを流すのが当然のようになっていて、往年のファンもそれを期待している。僕もそうだったのだが、この数年で考えを変えた。その理由は「ゴジラ×メガギラス G消滅作戦」で書いているのでここでは省略する。
 大島ミチルが「×メガギラス」以上のゴジラテーマを書いているのは言うまでもない。
 メカゴジラの造型は「VSメカゴジラ」のそれとそれほどの違いはないが、目の下にある赤いラインが戦いの中でまるで血の涙のように見えるの不思議。

 昨年の「大怪獣総攻撃」ほどではないが、映画の出来に満足した。が、気になるのはシナリオだ。
 特生自衛隊の女隊員がヒロイン一人というのはどんなものか。まるで「宇宙戦艦ヤマト」の乗組員みたいでリアルさに欠ける。
 ハム太郎との併映ということで、孤独なヒロインと科学者の小学生になる娘との交流が描かれたのだろうが、そのやりとりが気恥ずかしくてたまらなかった。意図するところはわかるのだけれど、思わず照れて下を向いてしまう。
 54年にオキシジェン・デストロイヤーによって葬られたゴジラの骨を機龍製造にために最近になって採取したというが、近海に眠るゴジラの骨を50年間も放っとくものか。生物学者たちが黙っているまい(映画「ゴジラ」のラストはオキシジェン・デストロイヤーによって、まさしく何も残さず消えたというものだった)。

 ゴジラ撃退の唯一の武器はオキシジェン・デストロイヤーだけ、それを開発した科学者もこの世にいないから、二度と開発できないというのも、21世紀をむかえて説得力をなくしているような気がする。たとえその設計図(?)がなくても開発者・芹沢博士と同等の頭脳を持つ者が現れていい、あるいは第2のオキシジェン・デストロイヤー開発に向けて国家的なプロジェクトチームが組織されてもいい、それだけの年月が経っていると思う。

 機龍が完成し、そのテスト起動の日にゴジラが再上陸、最初のバトルになるのだが、ゴジラを撃破できる決定的場面で、制御不能になり大暴走を始め、街に大被害を及ぼす。普通ならマスコミ、野党を巻き込む大問題になるはずなのに、次の戦いになるとまた簡単に首相の鶴の一声で出撃が決定されてしまう。本来ならこういうところの駆け引きを徹底的に描くべきだろう。そこにスリルやサスペンスが生まれると思うのだが。
 遠隔操縦が不能になり、ヒロインが機龍に乗り込んで直に操縦することになる。ここで初めて放射能汚染が問題になる。だったらゴジラに蹂躙された街はどうなる? 街は汚染されていないのか? 
 クライマックス、ヒロインの「私に力を」の絶叫もとってつけたようで僕の胸には響かなかった。

 一番違和感を覚えたのはラスト。全身武器という機龍の、最大にして最終の兵器は絶対零度の光線を相手に浴びせ、粉々に破壊してしまうというもの。ゴジラとがっぷり四つに組んだ機龍は至近距離でこの光線を放ち、そのまま海中に没する。ゴジラも機龍も助からない、そんな状況下で、まずゴジラが何事もなかったかのように、海面に姿を現し、そのまま海の向うに歩いていく。
 少し遅れて現れた機龍からヒロインが抜け出してその姿を見送る。……最終兵器の威力って何だったんだろう。
 引き分けというヒロインの言葉を受けて、作戦室の首相は「われわれの勝利だ」と結論づける。おいおい、僕は思わず突っ込みを入れたくなった。
 最終兵器のダメージなんて少しも受けたように見えないゴジラが機龍の残骸に背を向けたからといって、そんな簡単に言い切れるものなのか。機龍は破壊されたが、ゴジラは生きているのである。明日またゴジラが襲ってくることも十分予想できるではないか。まったく呑気なものである。
 強すぎるゴジラが仇になった。

 特生自衛隊の設定を生かし、ゴジラと自衛隊の攻防を真正面にすえ、そこに人間ドラマを盛り込むハードでリアリティあふれる(そしてそれは54年のゴジラとは解き放たれた)展開の映画を観たい。手塚監督にぜひ挑戦してもらいたいものだ。

     ◇

2003/01/11

 「ゴジラ×メカゴジラ」(日劇2 再)  

 特撮仲間S氏と鑑賞後、居酒屋「やるき茶屋」にて。

「keiさん、先月観ているんですって。観たなら、観たと言ってくれれば誘わなかったのに」
「いや、最初に誘ったのはオレの方だし。にもかかわらず公開2日めに黙って一人で行っちゃったからね。『仮面ライダー龍騎』の映画も結局パスしちゃったし。Sさんに対して申し訳ないなぁと」
「仮面ライダーやウルトラマンを誘うのはわかるんだけど。ゴジラっていつも一人で観てたんでしょ?」
「平成シリーズの最初の頃はまだ小さかった娘を連れて行ってたよ。小学生になったら拒否されるようになって、それから一人で観るようになったの(笑)。今回はねぇ、最初、TVスポットを見て、そのダサさ加減にがっくりきたんだよ。メカゴジラを操縦するコックピットの釈由美子を真正面からズーム、同じ角度でメカゴジラをズーム。今時こんなショットが通用もんかと、監督のセンスを疑っちゃって。対戦怪獣(?)は嫌いなメカゴジラだし、なんか一人で行く気が失せてねぇ、で、Sさんを誘ったというわけさ」
「それがロードショー2日めに行ったのは?」
「あの日、たまたま有楽町に行く用事があって、『マイノリティ・リポート』観ようと思っていたら、時間が合わなくて。それに試写の段階からえらく評判よかったでしょ『×メカゴジラ』って。で、もう観ちゃえと。まあ、映画が面白くなかったら、今回わけ話してごめんなさいしたんだけど、最初の攻防シーンはもう一度観てもいいと思っていたからさ。それから藤山直美がどこに出てたのか確認したかった(笑)」
「確かに冒頭のシークエンスはかっこよかったなあ」
「54年のゴジラ上陸から生態系が狂って巨大生物のモスラやガイラが日本を襲う。これを向い討つのが自衛隊が誇るメーサー車。東宝自衛隊で最初にメーサー車が登場したのが『モスラ』であり、その存在を決定づけたのが『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』だった。メーサー車の歴史を語るために『モスラ』や『サンダ対ガイラ』のライブフィルムを使ってて」
「メーサー車から発射される光線が樹木をなぎ倒してガイラに被弾するという今でもマニアの間で語り草になっている名特撮シーン、今観てもワクワクもんですよ」
「メーサー車が最初に登場するシーンがいいでしょ? ゴジラ迎撃のため道路を走っていく自衛隊の本物の戦車や車を真横からちょっとあおり気味に撮って、それを店から眺めるカメオ出演の村田雄浩に切り替わって、次に同じ角度で撮られたミニチュアのメーサー車が走っていく。このスムースなカット割りで、まるでメーサー車が本物に見える、かっこいいんだ、これが」
「うん、うん」
「夜そして雨。自衛隊の描写もかなり真に迫っていた」
「でも、映画全体の印象をいえば、前作『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 怪獣総攻撃』の方が断然面白いですよ。金子監督の偉大さがあらためてわかった」
「でも、『GMK』より今度の方がいいっていうファンもいるんだよね」
「へェ、どこが?」
「そんなことわからないよ。オレだって『GMK』の方がよかったもの。たぶんゴジラの造型、あの白眼とか、ゴジラが太平洋に散った兵隊たちの残留思念だという設定に違和感があるんじゃないの」
「でもあれはあくまでも登場人物が語る仮定の話でしかないでしょ。映画の中でそのものずばりが描かれることもないし。ゴジラなんて生物って感じしたじゃないですか」
「だから本当のところわからないよ。話もどすけどさ、今度の映画、同じ手塚監督の『×メガギラス』よりはよっぽどいいと思う。手塚監督の演出力って、まあ金子監督は別にして、それまでのゴジラ監督より数段上だよ。惜しむらくは脚本にめぐまれない。今回、特技監督も新しい人なんだから、どうして脚本も新しい才能で勝負しなかったんだろう」
「何度も言っていることだけど、怪獣映画でボクが一番注目してるのは怪獣の足なんです。いつだってその描写がおろそかにされている。そういう意味ではアメリカのゴジラはすごいと思うんですよ。皆悪く言うけど」
「スリルとサスペンスがジュラシック・パークでなかったら俺ももう少し評価高いかな。で、もし本当に日本に怪獣が現れたら、その全体像を見るなんてことはTVの中継くらいなもんだろう。それも遠く離れた場所からか、あるいは空からの俯瞰とか。怪獣と怪獣の戦いだって、バストショットなんてことありえないわけだから。オレが肉弾戦が嫌いっていうのは、着ぐるみによる人間ぶりの戦いということもあるけれど、その見せ方に反発しているところが大きいんだ」
「ホント、あのカメラワークはやめてほしいな」
「金子監督がすごいと思うのは、『ガメラ3』の冒頭で深海のガメラの墓場が出てくるシーン、あそこを無人潜水挺から送られてくるビデオ画像だけで処理しているでしょ。樋口特技監督のアイディアかもしれないけどさ」
「樋口さんの『日本沈没』へのオマージュですね」
「普通の感覚なら、疑似海底のセットに模型の潜水艇を吊って撮るよね。それを画像が荒れたビデオ映像を海上の調査隊の面々が眺めるという構図。そのセンスにシビれたっていう」
「なるほど」
「渋谷から飛び立つガメラは、TVのニュースで流れた一般人が家庭用ビデオで撮った映像でとらえる。いかにもありそうじゃない、こういうの。この情報化社会で怪獣と接するっていうのは、つまりそういうことじゃないかなと」
「全部見せるのは逆に興ざめしちゃうとか。中途半端なアングルはリアリティそいじゃいますもんね」
「ゴジラはっていうと、自衛隊の作戦室に大きなモニターがあって、そこにゴジラのアップの映像が映し出されるんだけど、このカメラどこにセットされているんだ、誰が設置したんだ、っていつも思っていた。それもフィルムの画を合成するという安易な方法で。今度の『×メカゴジラ』でもメカゴジラのテストシーンにそんな画が出てくるんだよね」
「金子監督は人物造詣、描写も上手いですね」
「『×メカゴジラ』って、最初からハム太郎とのカップリングが予定されていたから、小学生の女の子とヒロインのドラマが用意されたのだろうけど、気恥ずかしくてしょうがない」
「いつかどこかで観たシーンばっかりというのも気になる」
「あの『力を~!』もどこかで見たな」
「我夢の『ガイア~』ですか(笑)」
「メカゴジラが対ゴジラ兵器なんてことぜったいありえない。格闘になったらもう勝負ありだもの」
「ゴジラが出現した場所に特殊ジェット機で輸送するのも、時間がかかってしょうがないですよ」
「そうだよね(笑) 『×メカゴジラ』を観て、オレが今ゴジラ映画に何を求めているかよくわかったんだ」
「と言うと?」
「初めてこの世にゴジラが出現したってことで、その出現から撃退されるまでの物語。要は自衛隊とゴジラの攻防だね。『×メガゴジラ』のオープニングの戦いをもっとハードにしたものといえる」
「面白そうだ」
「ガメラにしろ、ウルトラマンや仮面ライダーにしろ、全く新しい概念で復活して、成功しているよね。ゴジラだけなんだしつこいくらい第一作にこだわっているのは。やはり昔にこだわると何から何まで引きづられるだろう。音楽は伊福部昭じゃなけきゃダメ。ミニチュアと吊りが特撮の基本だとか。でもそうだったら昔の作品を繰り返観ればいいじゃない……この話すると長くなるからやめよう。オレがのぞむゴジラの映画だけど。太平洋でゴジラの生息が認識される。政府は半信半疑。近くの島を壊滅させることで、政府はゴジラ迎撃を決定する。まず海上自衛隊による対ゴジラ作戦。海中と海上での戦い。次に航空自衛隊の空からの攻撃。最初は報道規制が敷かれているんだけど、そのうち、マスコミ各社に気づかれ、スクープを狙うTV局が出てきたりして、ゴジラの姿が公になっていく。でも全身なんてなかなか撮れなくて、小出しに小出しに。ゴジラはどんどん日本に近づきその頃にはもう日本全体が大騒ぎになって、その進行状況からどこに上陸するか、上陸したらどのくらいの被害をだすのか、雑誌やTVで特集されたり。クライマックスは東京に上陸したゴジラと自衛隊の総力戦……。その中で自衛隊員たちの活躍を描くの。群像劇になるのかな。パイロット、艦隊乗組員、戦車隊、さまざま立場の自衛隊員が初めて敵との戦いの中で何を感じ、どう行動して、何を得るのか」
「ゴジラ出現は生態系の狂いでもあるんだから、映画の前半に絶滅した、ある程度大きな生物が各地に現れるなんて描写があってもいいすよね」
「上陸前の前哨戦としてゴジラと闘っていい。『ジュラシック・パークⅢ』のティラノとスピノの戦いみたいに」
「ゴジラ第一作がシナリオ執筆の前にSF作家の香山滋にストーリーを依頼したように、自衛隊、そのメカニックに精通した作家にスト-リーを書いてもらうってのはどうですか?」
「『亡国のイージス』の福井晴敏って線はどうかな」
「とにかく知り合いに自衛隊関係者がいるから、彼と一緒に今度その話を肴に飲み会開きましょうよ」
「いいね、いいね。大いに盛り上がろう!」




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録画して頂きましたCDが届きました。ありがとうございました! 昨日BSで「新 居酒屋ゆうれい」を見ました。萩原健一さんではなく、舘ひろしさんが主人公の映画でストーリーよりも舘ひろしさんが役柄合わないように見えて、途中で切り替えてしまいました。このあたりの感覚は萩原健一さんですね、やっぱり。素人ぽい所というのか、初々しい所のイメージが役に出ているのが味があるように感じてます。
舘ひろしさんは「あぶない刑事」のイメージが強いのかな。
ジンギスカン さん
どういたしまして!

「新 居酒屋ゆうれい」って、「居酒屋ゆうれい」の続編とか、PART2というのではないんですよね。確かリメイクみたいな感じでした。「居酒屋ゆうれい」が公開されてそれほど経っていなかったと記憶しています。
ですから、どうして企画されたのかよくわからず、個人的になかったことになっています。

以前にどこかに書きましたが、「居酒屋ゆうれい」のショーケンは「前略おふくろ様」のサブちゃんが独立してお店をオープンしたという認識でおります。
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プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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