11年前の2004年、05年は、70年代の人気TVアニメが次々と実写映画化された。
 最初に実写化が発表されたのは60年代に人気を呼んだ「鉄人28号」だったと思う。04年だったか、前年の03年だったかは忘れたが、これを契機に04年は次々と人気アニメの実写化映画が公開されたのだ。

 公開第一弾は「CASSHERN」。タツノコプロの傑作アニメ「新造人間キャシャーン」を、音楽PV等で活躍していた映像作家(カメラマン)の紀里谷和明がCGを大胆に導入してヴィジュアル化したのである。評判は散々だった。僕個人の評価は違うのだが。

 続いて公開されたのが「キューティーハニー」、少し遅れて「デビルマン」。永井豪原作の作品が続いた。
 「キューティーハニー」は、まあ、普通の失敗作だが、「デビルマン」は超弩級の最悪作品だった。ネットは酷評の嵐。その盛り上がりがすごかった。専用のサイトができるほどだから。

 結局、05年公開の「鉄人28号」は観に行かなかった。ビデオ(DVD)になっても借りたことがない。

 「キューティーハニー」は映画公開後にTVドラマ(実写)化された。個人的にはこのシリーズの方が面白いと思っている。
 「デビルマン」の感想で〈怒りがわいてくる映画〉と書いたが、「ガッチャマン」もそうだった。比べれば「デビルマン」に軍配が上がるのだが。

 往年の人気アニメの実写映画化はどれも大ヒットに結びつかなかったことから、「ゴジラ」「ガメラ」「ウルトラマン」「仮面ライダー」等に続く、特撮映画の新しいムーブメントにならなかった。
 ただし、タツノコプロ作品の実写映画化企画だけは進行していて、08年に「ヤッターマン」が、14年に「ガッチャマン」が公開された。 「ガッチャマン」が酷評の嵐になったのは記憶に新しい。
 
 マンガ、アニメの実写化する場合、作品世界をそのまま実写にしてもしょうがないと思っている。なにしろ相手は2次元のキャラクター、世界なのだから、人間の役者が演じること、現実の社会を反映させる(つまりリアルさ)ということを心掛けなければならない。でないと、キャラクターなんて単なるコスプレになってしまう。
 この匙加減が難しい。

     ◇

2004/06/11

 「キューティーハニー」(川崎チネチッタ)  

 永井豪原作のアニメーションの実写映画化が続いている。まず「デビルマン」が発表され、続いて「キューティーハニー」(公開は「キューティーハニー」の方が先になったが)。「鉄人28号」も映画化されるのだから、「マジンガーZ」の映画化も近いのではないか。

 永井豪というと、僕にとっては「ハレンチ学園」であり「あばしり一家」だった。「マジンガーZ」や「デビルマン」、「キューティーハニー」をアニメで夢中になったのは5歳下の弟の世代(から下)だろう。「マジンガーZ」は弟につきあって毎週観ていた。なんたって、「科学忍者隊ガッチャマン」「サザエさん」に続くゴールデンタイムだったのだ(後には名作劇場が控えていた)。

  「デビルマン」や「キューティーハニー」のアニメに関していえば、はっきりいってバカにしていた。当時打倒「8時だよ 全員集合!」とばかりNETテレビ(ネットテレビではありません、エヌ・イー・ティと読みます。今のテレビ朝日)が土曜日夜7時30分の「仮面ライダー」に続けて8時台にも特撮ヒーローものとアニメの番組を始めた。それが「人造人間キカイダー」であり「デビルマン」だったのだが、中学生だった僕はそこまでやるか! とあきれていた。「キューティーハニー」は「デビルマン」の後番組か何かではなかったか。
 どちらも技術的には下の方のランクだったと思う。一度もチャンネルを合わせることはなかった(最近TVの懐かしきのアニメ特集等で見るけれど、絵が汚いし、セルの傷が目立つ)。  

 マンガにもアニメにも思い入れはないのに、じゃあなぜ観たのかといえば「エヴァンゲリオン」の庵野監督がどんなヴィジュアルと笑いを提供してくれるか、という点に期待したのである。笑いに関しては、脇を固める篠井英介、手塚とおる、及川光博、片桐はいり等がどんな風にハジケるのか、考えただけでワクワクしてしまった。
 ところが、悲しいかなどちらにも満足できなかった。

 まあ、ヒロイン役に佐藤江梨子をキャスティングしたときから違和感があった。あのマスクがどうにもキューティーハニーに思えなかった。昨年暮れのモノマネ番組で某タレントが扮していたキューティーハニーの方がよっぽど〈らしかった〉(演技的にどうというわけではない。あくまでも見ため)。あまり知性が感じられないのだ(全国のサトエリファン、御免)。それからスタンダードな衣装時の肌の露出部分が実は肌色の生地だったというのがダサすぎる。フィギュアスケートじゃないんだからさ。
 
 映画化にあたってサトエリっぽいキャラクターになっていたのには安堵した。冒頭の下着姿に少々ドギマギしたりして。  
 最初の事件、海ほたるでの(秘密結社パンサークロー)の第一の使者(片桐はいり)との戦いで、片桐はいりのメイクが生々しくてまず萎えた。口元がアップになると黄色い歯がやけに目立つのだ。これは敵方の怪人たちのメイクすべてにいえた。フィルムでなくHDによる撮影だからだろうか。  
 実写をアニメーションにする手法も特にどうというものではなかった。だいたいその手法はふた昔前に大林宣彦監督が「ねらわれた学園」や「時をかける少女」で使用しているのではないか。
 特撮やドラマは別にどうでもいいけれど、バカ笑いができなかったのがつらい。声出して笑えたのはミッチ―とハニーの一騎打ちだけ。ミッチ―は旬の人だ。シリアスもコメディもいける。

 篠井英介は単に三輪明宏の模倣だし、手塚とおるもメイクのみが目立つだけ。そうそう手塚とおるのメイクって浦沢直樹の「モンスター」に登場にする悪役(名前失念、チビのキューピーちゃんみたいな暗黒街の顔役)にそっくりで、それにはニヤっとしたけど。

 クライマックスのテーマは言いたいことはよくわかるけど金子修介監督「ガメラ 大怪獣空中決戦」の焼き直しにすぎない。

 気になったには前半、ハニーが街をさまようシーン。まるで「帰ってきたウルトラマン/狙われた女」にオマージュを捧げたような印象を受けた。MATの丘隊員が私服姿で同じように街を徘徊し、同じモニュメントの前でポーズもとっていたような気がしてならない。(庵野監督はアマチュア時代に自身が顔出しの帰マンに扮した自主映画「帰ってきたウルトラマン」を撮っているのだ。)

     ◇

2004/10/25

 「デビルマン」(MOVIXさいたま)

 永井豪の傑作マンガ「デビルマン」が実写映画化されると知った時は快哉の文字が頭を駆け巡った。技術の進歩でやっとデビルマンのあの世界が特撮で観られる時代がやってきたのかと。
 が、しかし。脚本、監督が「ビー・バップ・ハイスクール」の那須真知子、那須博之コンビと聞いて快哉の文字に陰りが生じた。那須監督の得意とするジャンルと違うんではないかと。でもまあ、オファーを受けたというのはそれなりに自信があるということなのだろうと納得させて、公開を待っていた。 

 製作が開始されてからかなり経過されるのに特撮系の雑誌にまったくというほどヴィジュアルが掲載されない。不安になってきた。案の定公開が延期になった。
 朝めし前プロジェクト上映会で知り合い、「まぐま」でもインタビューしている芸歴40年のベテラン町田政則さんがこの映画に出演している。映画の出来具合を聞くと関係者試写があった日にちょうど京都の撮影に参加していて観ていないと言いながらこう付け加えた。「なんか面白くないみたいだよ」
 劇場の予告編ではCGによるデビルマンの造形がいかにもアニメっぽくてリアル感に乏しかった。公開が迫るにつれ耳にするのは酷評ばかり。

 MOVIXの招待券がなければ観なかったかもしれない。アニメにはまったく興味なかったが、雑誌連載されたマンガ「デビルマン」のラストには衝撃を受けた一人である。ゴジラ、ウルトラマン、仮面ライダー以外の特撮映画としてどんな作品に仕上がったのか興味がある。もしかしたら「CASSHERN」みたいに酷評の嵐の中でも個人的には注目できる要素もあるかもしれないと淡い期待もあったのだが……

 幼なじみの不動明(伊崎央登)と飛鳥了(伊崎右典)。同じ容貌を持つ二人なのに性格はまるで異なっていた。勉強、運動全ての点で飛鳥に劣る不動は飛鳥に対してある種の憧れを抱く陽気な青年。飛鳥は決して笑うことがないニヒルな青年で何かにつけて不動を庇護する存在。そのため時として信じられないような暴力沙汰を起こすこともあった。
 両親を事故で亡くした不動は牧村夫婦(宇崎竜童 阿木陽子)に引き取られ高校に通っていた。一人娘の美樹(酒井彩名)とは恋人関係にある。
 ある日飛鳥は新種のエネルギーを研究している父の異変を不動に伝え、研究所に連れて行く。そこには南極の地下から蘇ったデーモン一族と合体し醜い姿になった飛鳥の父親が。自分もデーモンになってしまったと嘆き悲しむ飛鳥。瞬時に不動の身体にもデーモンが取りつく。しかし人間の心を失わなかった不動はデーモンの超能力を持つ〈デビルマン〉として生まれ変わったのだった。愛するものを守るため、世界征服を狙うデーモンに立ち向かうデビルマン……

 いやはや、呆れてものもいえない。これを駄作と言わずして何が駄作なのか。
 主役の二人不動明と飛鳥了の子ども時代を描く冒頭シーンから引いてしまった。うどん粉を振りかけたような飛鳥の髪はいったい何なのだ。青年になった飛鳥の金髪に合せた処置だったのだろうか。イメージが全然違う。続くタイトルの音楽&ビジュアルが醸しだす高揚感。それも学校のシーンに切り替わったとたん一気に打ち砕かれる。
 主役二人の演技が拙いことは誰もが指摘している。確かに台詞は棒読みだし、感情表現も何もあったものではない。とにかく首から下の演技がまるで見ていられない。演技力がなくても映像世界ならそれなりに見られるはずなのだ。要は監督の演技のつけ方次第。那須監督ってたぶん俳優の地をそのままキャラクターに応用する人なのだろう。「ビー・バップ」はそういう類の映画だったと思う。しかし等身大の青春映画なら通用しても、「デビルマン」みたいな重厚なケレン味が必要な芝居では素人は単なるでくの坊になってしまう。
 いや演技力云々の前にこのシナリオでよくGOサインがでたものである。原作のコミックス全5巻をすべて描く映画なのだから全体の構成の緩さ拙さを指摘しても始まらない。台詞の一つひとつドラマの作りそのものがなっていないのだ。はっきり言って破綻している

 さっきまで自分もデーモンになってしまったことを嘆いていた飛鳥がデビルマンになった不動に向かって「ハッピーバースデー」だって。
 ショッピングセンター街で亀型デーモンに同級生が襲われ、そのSOSの声をキャッチした不動がやってくるのは何と海岸。あたりを探し回るが同級生はどこにも見当たらない。デビルマンに変身して飛行、着地したのが森の中。そこにデーモンに食われ甲羅の一部になった同級生がいた。ショッピングセンター街と海岸と森がどう繋がっているのか不明。
 教会にやってきた不動と美樹の会話。「美樹ちゃんの夢は?」と聞かれて「明くんと結婚して、子どもをたくさん生んで幸せな家庭を築く……」の答えに背中がこそばゆい。今時の女子高生がこんなこと言うか? だいたいそれまでの彼女のキャラクターに合っていない。とってつけたような台詞。
 デーモンに取り付かれた、それでも人間の心を持つ同級生(渋谷飛鳥)と小学生を自宅で匿うことを両親に進言する美樹がいちいち「お父さん」「お母さん」なんて呼びかける。「お父さん、お母さん、話があるの」「お父さん、XXXX」「お母さん、○○○○」 まるで素人芝居。
 その存在を近所の住民に知られ、同級生と小学生が牧村家から脱出する際に美樹がカサカサに乾いた同級生の唇に赤いルージュを引く。鏡に写った自分の姿を見ながら「美しいって素晴らしい」とか何とか。何だそりゃ!
 暴徒化した一般市民が牧村家を襲うシークエンス。両親を殺され絶体絶命に陥った美紀が「私は魔女よ」と大見得切って包丁を持って敵に向かっていき、あっけなくかわされると「私は魔女じゃない」と泣きを入れる。原作では二つの台詞に間に美樹の死闘が描かれるのだ。だからこそ意味ある言葉なのに……
 この支離滅裂さ、プロの仕事とは思えない。
 そんなこんなで最後までこちらの胸に響いてくる台詞や描写は皆無。

 シナリオの破綻をかばうどころか助長しているのが演出だ。単に文字を映像に変換しただけ。俳優の芝居のシーンでは何の創意工夫もない。CGによるデビルマンに変身する前の中間形ともいうべき役者の顔や身体にメーキャップを施したスタイルがある。一瞬だったらそれなりに見られるのに、この姿で長い芝居をやられるとお笑いタレントがコントで扮したデビルマンみたいで情けないったらありゃしない。

 キャスティングにも問題がある。主役二人は言うに及ばず、宇崎夫妻が浮きまくっていた。浮気云々の会話シーンだけいい味だしていたが、映画に必要だったとは思えない。ボブ・サップやKONISHIKI、小林幸子のゲスト出演に何の意味があるのだろう?  第一ボブ・サップにニュースキャスターやらせるか? 何の脈絡もなく「デーモンバンザイ!」って叫びながら撃ち殺されるKONISHIKIって一体…… ベンツ(?)に乗った小林幸子がたまたま通りかかった貧相な家の事情なんてわかるはずもないだろうが。

 実写シーンとVFXシーンが最後まで乖離していた。タッチがまるで違うのだ。
 肝心のVFXが心ときめかせる出来ではなかったのも痛い。前半のシレーヌとの都市上空での空中戦など、そのスリル、疾走感、スペクタクル描写で映画屈指の名シーンになるはずだったのに、少しも興奮できなかった。
 登場人物の誰一人にも感情移入できるわけもなく、単にダラダラと進んでいく物語をある距離を置いてながめているだけ。観客との意志の疎通をこれほどまで拒絶する映画も珍しい。誉めようにも皆目見当たらない。
 いやあった。不動と飛鳥が言い争いをしている最中に、画面奥の町並みにミサイルが落ちて爆発するカット、デビルマンとサタンの最終決戦時の全裸の男女がうねりながらバベルの塔みたいなものを形成するカット。それから不動が手に持つ美樹の生首の造形。この3つのみ見ものではあるかな。

 昔、「さよならジュピター」という映画があった。小松左京が自ら制作会社を設立して原作と総監督の立場で製作に望んだかなりの期待作だったが出来上がった作品は無残だった。実際の演出を担当したのは東宝の新人監督なのだが、続いて監督したファン待望の「ゴジラ」のつまらなさで僕の思いはピークに達した。この監督、センスがないと。いわゆる特撮がらみのSFファンタジーにはまったく不向きな人だったのだ。
 同じことが那須監督にも言えるだろう。東映の超大作、場合によっては世界も狙える作品だからと箔をつけるためオファーを受けたのかもしれないが、できないことに手を染めるのは自分の経歴にミソをつけるだけだった。エンディングロールの最後で監督クレジットがフィックスされる。関係者試写の時、恥ずかしくはなかったのだろうか。せめて他のスタッフ名同様上にロールさせてしまえばよかったのに。僕だったら監督名だけ消してくれと懇願する。 
 いや、監督を叩くのはお門違いかもしれない。こんな酷い映画になってしまった責任は絶対プロデューサーにある。

 「デビルマン」映画化の企画意図はどこにあったのか。映像不可能といわれた傑作マンガ。永井豪は海外からのオファーを蹴って東映に映画化を託したのである。そんなビックプロジェクトに対してなぜ那須監督なのか。デビルマンの世界が那須監督にフィットするとは思えない。高校生の主役だから「ビー・バップ」の監督という発想なのか。まさかね。
 また、ヒットしたら続編を狙える。ドル箱になる可能性だって十分にある。だったら何も1作で原作すべてを使い切ることはないではないか。最初から3部作くらいに考えればいい。その方がストーリーも作りやすい。観客に対しても親切というものだ。 

 まずは〈デビルマン誕生編〉としてデビルマンの誕生に至る経緯を十分に描きながら、デーモン一族との戦いを初戦、二回戦、最終戦といった形で見せていく。被害者だった一般市民が疑心暗鬼になって自警団を結成、〈悪魔狩り〉と称して罪なき人々を襲っていく姿を交錯させる。人間の残虐ぶりを目の当たりにして、果たして自分が守るべき存在なのかどうか悩み、戸惑いながら大ボスを倒すエンディング。あくまでも映画として完結させながらいくつかの謎も残しておき、次回作に繋がる構成にしておく。原作のキャラクターや設定を基本だけ生かして映画用にアレンジするのも手だ。不動や飛鳥が高校生であったり、飛鳥が金髪である必要はない。原作の核さえ把握し押えておけば原作のファンは納得してくれると思う。特にマンガを実写化する場合は!

 この映画のロードショー初日、台風22号が東京を直撃した日、僕は新宿ロフトプラスワンにいた。通称ガンプラといわれる銃(銃撃戦)をメインにした自主映画の本選上映会があったのだ。シネマ愚連隊の「餓鬼ハンター」が目当てだったのだが、なかなかの力作が揃っていた。
 上映後、押井監督、樋口監督等々、錚々たるメンバーによる審査員による審査発表があったのだが、審査員の中に東宝および東映ビデオのプロデューサーもいて、東宝の方の挨拶がふるっていた。
「皆さん、いいんですか? 今日は『デビルマン』の初日ですよ! こんなところに来ている場合ではないでしょう、早く劇場に行かなきゃ……」
 あれはライバル会社に対する大いなる皮肉だったんだな。同じ1,800円ならロフトプラスワンで上映された自主作品の方が観る価値があったと今さらながら思う。本当にそう思う。
 感想を書いていて、怒りがわいてくる映画はそうそうないだろう。

     *

 仮に僕がプロデューサーだったら、まず平成仮面ライダーのスタッフ、キャストに声をかけますね。東映グループが結集しているのだから当然でしょう。
 シナリオは井上敏樹。監督はシリーズのメイン監督である長石多可男。配役は不動に須賀貴匡(「龍騎」の主役)、飛鳥には羽尾レイ(「アギト」の謎の青年)。この二人ならポジとネガの関係になるのではないか? 高校生ではなくもう少し上の青年にしたい。大学院生か。ある研究室で働く同僚とか。美樹も同様。美樹をめぐる三角関係、それにシレーヌをからませながら先述したストーリーを組み立てる……なんてね。




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Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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