2000/04/19

 「おかしな男 渥美清」(小林信彦/新潮社)

 藤山寛美が亡くなられて、小林信彦が週刊文春に短気集中連載という形で「藤山寛美とその時代」を書いた時から、氏に対して次は「渥美清とその時代」を書いて欲しいと願ったものだった。

 次に連載されたのは「横山やすし天才伝説」だったが、単行本としてまとまった2冊を並べてみると、かつて「日本の喜劇人」を上梓し絶賛を浴びた喜劇見巧者による「日本の喜劇人」第2部の作業を着々と進めているという感慨があった。

 あくまでも自分とかかわりがあった範囲内、自分自身が見聞した記憶の中で一世を風靡した人気者・喜劇役者の側面を語っていく。独特の、感情におぼれることのない、対象者と一定の距離をおく冷めた筆致で藤山寛美、植木等、横山やすし、伊東四朗の評伝を書いた著者として、必ずや「渥美清」を書くだろうと確信した。

 渥美清は小林信彦にとって藤山寛美、横山やすし以上に若い頃は親交があったということを「日本の喜劇人」やこれまでのコラムの数々で知っていたし、何より渥美清が逝去してから、寅さんのイメージと結びつけただけの一連の追悼本・回想本とは一線を画す、渥美清の芸の本質に迫ったものができると信じていた。

 数年前、小林信彦がカメラマン荒木経惟と対談したあるTV番組で「最近渥美清について調べている」と発言していて、いよいよ連載を開始するのかと喜んだ。
 藤山寛美、横山やすしに続いて週刊文春の連載するのか、はたまた書き下ろしなのか。かなりアンテナを張ったつもりだが、それ以後、何の情報も伝わってこなかった。

 昨年の春、某月刊小説誌で爆笑問題と小林信彦が対談し、新潮社が発行しているPR誌「波」に「おかしな男 ―ぼくの渥美清ノート」を連載しているのを知った。
 これには驚くと同時に歓喜して、もういてもたってもいられなくなった。
 図書館で「波」のバックナンバーをあたろうとしたら、購入していないという。新潮社に電話して連載開始の号から取り寄せよせられないかと訊いたら、見事に断られた。とにかく、書店で最新号を手に入れ、実際に連載されているのを確認し喜びを新たにして、一冊にまとまるまで待とうと思った。
 仕事で日本橋に出て、丸善に寄った際、新刊コーナーに本書を見つけた時の感激は何と表現したらいいかわからない。

 僕にとって渥美清は最初からコメディアンではなく、どこかおもしろい役者という存在だった。
 毎週日曜日の夜に放映されていた「泣いてたまるか」は渥美自身が歌う主題歌とともに大好きだった(隔週で青島幸男と主役を交替していたが、どうも青島幸男の回は印象にない)。

 「泣いてたまるか」に関しては、今でも忘れられないエピソードがある。1つはサブタイトルが確か「禁じられた遊び」というもので、かつて戦場で九死に一生を得た渥美清たち数人の大人たちがその戦争体験を忘れられなくてある大きな広場に集まってはおもちゃの銃を使って戦争ごっこを繰り広げる話。イエペスのギターで有名な名画「禁じられた遊び」を知らなかった当時の僕は「禁じられた遊び」とは大の大人たちがする戦争ごっこのこととそれからかなりの間信じていた。

 もう1つは、ある殺人事件を犯した男(渥美清)が裁判で無実を勝ち取れそうになる(死刑にならずにすむ)のに、結局、自ら殺意があったことを証言して死刑が確定するというまことに暗い話。このエピソード自体「泣いてたまるか」だったかどうか、僕の記憶もあやしいのだが、ラストに見せる渥美清の表情がとても印象深かったのだけは憶えている。

 そんなわけで、物心がついた頃から渥美清は好きな役者だった(もしかすると子ども番組に出演する俳優、タレント以外で初めてその名を憶えた人かもしれない)ので、彼が主演するTVドラマには知っている限りチャンネルを合わせたような気がする。本書でもフジテレビが主演ドラマを連作していたと記述されているが、確かに記憶が合致するのだ。

 しかし、どうゆうわけかTVドラマの「男はつらいよ」は全く記憶にない。後年、映画が大ヒットして、その存在を知り、長らく幻の番組だった。渥美清が亡くなり、追悼番組としてフジテレビに唯一保存されている第一回と最終回を放映されたのを観たが、やはり初めて観るものだった。

 渥美清が映画「男はつらいよ」だけに専念するようになってからは、ほとんどTVで活躍を見ることはなくなった。渥美清のファンといっても、僕は映画館に足を運んでまで「男をつらいよ」を観ようとは思わなかったし、一時期まで「男はつらいよ」を無視していたところもある。他の山田監督作品や松竹作品へのゲスト出演で彼の演技に触れ、それだけで満足していた。

 「定本日本の喜劇人」の渥美清に関する文章を読んだ時、渥美清にはかつて役者の側面の他に「夢であいましょう」で見せたという達者なエンタテイナーとしてのモダンな芸も併せ持っていたということを知って驚いた。浅草の軽演劇出身なのだから当たり前といえばそれまでだが。

 物真似もうまく、自身が尊敬する森繁久弥はもちろん、仲間内には小林信彦の真似さえしたというから驚きだ。「日本の喜劇人」の中でも書かれ、本書でも紹介されているジェリー藤尾の真似〈各人がチキン・バスケットを受けとって、ジェリーのだけ、チキンが一本足りなかったとき〉のジェリーの凄むまねが抱腹絶倒だったとあるが、そのおかしさは文章だけでも十分理解できる。
 マスコミによる"渥美清バッシング"があったというのも信じられなかった。極端な個人主義、つきあいの悪さが原因らしい。

 本書でも当時のバッシングの有様について2章が費やされている。週刊文春の芸人ベストテン選出時の演劇評論家、芸能記者の横暴は「プロの世界でもそういうことがありうるのか」と怒り以上に不思議な気持ちがした。
 伴淳三郎による渥美イジメが別の章でかなり詳細に書かれている。伴淳がTV局の公衆電話から知り合いの芸能記者に渥美清の悪口を語る姿はかなり異様だし、ショックだ。僕の伴淳に対するイメージが崩れてしまった。

 昨年読んだ「藝人という生き方そして死に方」(矢野誠一/日本経済新聞社)には渥美清が初日に芝居等を観に行くのはマスコミに対して勉強熱心さを知らせる自己PRとの指摘があり、初めて聞く思いだったが、本書はそれについて"悪意ある文章"だとして全くの誤り、曲解だと否定している。

 前半は著者の体験から見た渥美清の"人となり"が事細かに書かれている。確かな記憶力にもとづく著者言うところのポルトレエは思っていたとおり数多く出版されている渥美清の評伝本を色褪せたものにする。
 渥美清と伴淳の関係もそうだが昭和30年代、40年代における芸人たちの人間模様が興味深かった。渥美清がインテリコンプレックスだったというのが面白い。

 圧巻だったのは中盤の「男はつらいよ」についての的確な分析、評価である。テレビ版の企画、制作、放映、ラストに対する視聴者の反応。それに続く松竹による映画化。映画の中で渥美が披露するギャグを一つひとつ詳細に紹介してくれるのがうれしい。これが勉強になるのだ。
 「見巧者」の章で二人が交わす映画についての会話も見逃せない。話題にでてきた映画がたまらなく観たくなる。

 〈国民映画〉の不意の喪失による映画会社・松竹の危機を、渥美は―当然のことながら―見抜いていたのだ、と著者は書く。
 その後の松竹を見ていると、いやその崩れ方を見ると、何やら恐ろしい気さえする。一人の役者の死が映画会社にこれほどの影響をあたえたのは、最初でおそらく最後だろう。(360ページ)   
 まったくそのとおりで、渥美亡き後、追悼の意味で山田監督自らが「男がつらいよ」第1作にオマージュをささげた「虹をつかむ男」のくだらなさ、およそ映画に似合わないCG処理を施して再生させた「男はつらいよ ハイビスカスの花 特別編」の異様さ(何も特別編を作る必要なんてないではないか。浅丘ルリ子のリリーシリーズ3本立てのほうがありがたい。昔松竹がよくやっていたプログラムだ)がその表れの一つだと僕自身は思っている。

 「男がつらいよ」のシリーズがギネスブックに載るほど継続していたのは結局のところ会社側だけの都合だったわけで、それは以前から指摘されていたことだが、本社や撮影所売却のニュースはそれが実証されたことによる。

 小林信彦ファン、渥美清ファンの僕としてはこれからも繰り返し本書を読むことになるだろう。  
 小林信彦の芸人評伝はこれで完結だろうか。できればもうひとつコント55号、萩本欽一について同じ手法で書いて欲しいのだが……。


2000/05/13

 「読書中毒 ブックレシピ61」(小林信彦/文春文庫)

 タイトルだけだと椎名誠か目黒考二の著作のような感じがする。
 かつて本の雑誌社から出た「小説探検」と週刊文春に連載されていた「読書日記」のうち、「本は寝ころんで」「〈超〉読書法」に収録されていない最終回までの部分の二部構成になっている。
 「小説探検」のままでもよかった気もするが、読書日記の内容がタイトルに偽りがあるので改題したのだろうか。

 単行本「小説探検」は今でもよく読んでいる。「本の雑誌」に連載されていたコラムをまとめたもので、連載時はこれが読みたくて毎月小林信彦のページだけ立ち読みしていたほど。(ちなみに「小説探検」に収録された以降も連載は続いていたはずで、それらはいつまとめられるのだろうか?)

 〈小説をいかに語るか〉およびそれを〈いかに読みとるか〉の分析という趣旨でかかれた同書は「コラム」シリーズ同様、読書好き、ミステリ好きである僕のバイブルみたいな存在で繰り返し読んでいる。各編が短くまとめられているので、朝のトイレタイムの読書にちょうどいいのだ。

 繰り返し読むことで、意識的にあるいは無意識的に僕の本の読み方、映画鑑賞の指針の(大げさに言えば)血となり肉となっている。日頃僕自身の考えだと思っていることで、意見を言ったり、書いたりしていることが、何のことはない、小林信彦がかつて主張していたことに気づく。「小説探検」を繰り返し読むことで、考えが自然に刷り込まれたのだろう。しかし何度読んでも(まあ、自分がすぐ忘れてしまうのがいけないのだが)ハッとすることがでてくる。
 ハードボイルドの場合、依頼人、重要な証人、警察のボスが犯人、というのはほとんどパターンになっている、と書いているが、確かに映画「L.A.コンフィデンシャル」や「交渉人」の犯人は警察のボスであったし、「深夜プラス1」は依頼人が犯人だった。

 何よりも恥ずかしかったのは、僕が書く文章自体小林信彦のコラム、エッセイのヘタなエピゴーネンであることがわかったこと。思想的(というか考え)にかなり影響受けているのは当然だけれど、文体まで似ていたとは知らなかった。
 別に意識しているわけではないのだが、本書を読みながら何度も冷汗がでる思いだった。

 それにしても小林信彦の本(あるいは映画)を紹介する、その語り口のうまさを何と形容すべきだろうか。もうこれは神業ですね。
 たとえばこの本でも僕の未読のさまざまな小説が紹介されていて、これがすべて読んでみたくなるものばかりだからたまらない。
 大好きだというP・ハイスミスの一連の作品なんか読破したい気分になる。

 思い出した! 単行本「小説探検」を読んで、いち早くハイスミスの文庫を図書館から借りてきてわくわくしながら読んだらそれほどでもなかったのだ。
 そういえば、小林信彦がおもしろく紹介しても実際の作品が(読む人にとって)おもしろいかどうか保証できなない、とかなんとか目黒考二が「本は寝ころんで」の文庫本の解説に書いていた。


2000/06/13

 「最良の日、最悪の日」(小林信彦/文藝春秋)

 週刊文春連載の「人生は五十一から」の1999年連載分が一冊にまとまった。
 1999年はオウムの活動が目立ってくるわ、小渕政権が盗聴傍受法などの悪法を認めてしまうわ、バカな2千円札の発行を決めてしまうわ、景気は回復しないわ、自殺者は増えるわ、で少しもいいことがなかった。
 本書でも何度も今が最悪の日であることを嘆いていて、読んでいるこちらも暗くなる。が、いや待てよ、とも思う。
 その昔、小林信彦がキネマ旬報にコラムを連載している間、次に何の話を語ってくれるのか、楽しみにしていたものだ。キネマ旬報は月に2回しか発行しないが、週刊文春は毎週発売される。つまり小林信彦のコラムが毎週読めるのだから、世の中がどんなに悪くなろうともこれはまったくもって幸せなことではないか。
 サンデー毎日連載の中野翠の時評コラム「満月雑記帳」が毎年暮に一冊にまとまってオリジナルタイトルで上梓される。中野翠にとって今ではライフワークの感があり、サンデー毎日の名物コラムになっている。僕が立ち読みで読むのはこの見開きページだけだ。
 週刊文春にはいろいろな名物コラムがあるけれど、後発のこのコラムを発売日早朝の電車の中で読むのが今や習慣となっている。
 小林信彦の「人生は五十一から」も毎年この季節にタイトルを変えながら単行本が書店に並ぶのだろう。永遠に続いて欲しいコラムである。




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プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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