1999/08/07

 「シャロウ・グロウブ」(ビデオ)

 「トレイン・スポッティング」のダニーボイル監督&主演ユアン・マクレガーコンビのデビュー作だと知ってずっとビデオ屋で探していて、やっと見つけてきた。
 同居人3人組(女1人&男2人というのはやっぱり絵になる)の仲が大金によっておかしくなっていく様を個性的な映像で見せる。

     ◇

1999/08/26

 「砂の器」(TV)

 この映画を初めて観たのは高校1年の時だった。
 この時の併映作品のカップリングがよかった。「男はつらいよ 寅次郎子守唄」。確か十朱幸代がマドンナ、上條恒彦と最後に結ばれる話で、映画館で初めて観た寅さん映画だった。寅さんで笑い、砂の器で泣く。
 とにかく「砂の器」は泣ける映画だった。その後何度か映画館、TV、ビデオ等で再見しているが、いつも同じシーンで涙があふれてくる。
 後で原作を読んだが、映画の方ができがいいと思ったものだ。構成が素晴らしい。前半はスーパーインポーズを多用して事件の流れを追い、後半は捜査会議と犯人の少年時代の回想シーンを交互させる。少年時代を演じた子役の表情と芥川也寸志のテーマ音楽がシンクロして、相乗効果で観ている者の涙腺を緩ませるのである。
 久しぶりに観た今回、同じように泣いてしまったのであるが、あまりにもでき過ぎな展開が気になった。感動させようとするスタッフの意図も必要以上に感じた。
 当時、事件の舞台となった蒲田は全くの見知らぬ街であった。それが今では住居のある川口の次に会社のある所として非常に身近な存在になってしまった。蒲田がでてくると、そこがどこだか確認したくて、ブラウン管に顔を近づけたほどだ。
 公開当時、主演の一人森田健作がヘタクソだと淀川長治に批判されていて、僕は若者の代表って感じでいいではないかと日記に反論を書いた憶えがある。やはり見事にヘタだ。ミスキャスト。

 今回初めて気がついたのだが、刑事役の某俳優が「順風満帆」をジュンプウマンポと言っている。まわりのスタッフ、誰も気がつかなかったのか? 当人にとっても恥ずべきことだと思うのだけど。 

     ◇

1999/09/01

 「オースティン・パワーズ:デラックス」(丸の内プラゼール)

 前作の「オースティン・パワーズ」はまだ観ていない。にもかかわらず、やけに評判がいいんで映画サービスデーに友人に誘われ、さっそく観てきた。
 60年代のスパイ映画を当時の風俗、ファッションを含め、現代(90年代)の感覚から笑い飛ばそうという狙い、ギャグが下ネタの、たぶんに下品な内容、今風で言えば「おバカ」映画くらいの認識しかなく、笑えなかったどうしようと思っていたら杞憂だった。もう全編大爆笑だ。
 オープニングの「007」風のテーマ曲でニヤリ。続く「スターウォーズ」の字幕、タイトルバックの主人公が全裸でホテルを闊歩し、プールのシンクロナイズドスイミングに乱入するところで、完全に映画の世界に入り込んでしまった。
 敵役のDr.イーブルが最高。キャラクター自体コント55号時代の二郎さんを彷彿させ、「飛びます、飛びます」をいつ言いだすか、けっこう期待したりして……。扮する役者が何ともうまく、なんて人なんだろうと思ったら、主役であるマイク・マイヤーズの二役でした。全然知らなかった!  60年代をそれなりに知っている者としては60年代のファッション、歌の数々が懐かしく胸躍った。今見てもけっして古めかしくも、おかしくもない。サイケはエネルギュッシュだったなあ。それにオシャレだ。

 「I'll never fall in love agein 」(この曲を僕は初期の赤い鳥のレコードで知った)がバート・バカラックのオリジナルで聴けたのは幸せ。

     ◇

1999/09/26

 「マトリックス」(丸の内ピカデリー)

 最初はキアヌ・リーブス主演のSFアクションぐらいの認識しかなかったが、巷の評判がやけに高い。キアヌ・リーブスも「スピード」時のスリムな体型に戻っていることだし、これは観る価値あるってんで、昨日前売り買って、病院に行ってから丸の内ピカデリーに寄ったら、すでに立見の状態。
 しょうがないから今日2回目の上映に行ってきた。余裕をみて1時間前に行ったにもかかわらず、すでに行列ができていた。すごい人気である。

 仮想現実の世界を描いたSF小説は僕が知らないだけでけっこうあるのだろう。
 藤子不二雄の異色SF短編集にこんな話がある。妻子のいる平凡なサラリーマンが何となく自分の生活のうそ臭さが気になってしょうがない。まわりの人間たちは「気のせいさ」と笑い飛ばすのだが、その気分はますますひどくなって、ついには人殺しまで犯してしまう……。そこで男は仮想現実から現実世界ー核戦争によって破壊されてしまった地球があったであろう空間ーにひきもどされる。宇宙に残ったたったひとつの細胞から主人公を再生し、彼が不自由なく生活していけるよう仮想現実を与えたのは心やさしき宇宙人だったのだ。宇宙人は男の不信感を嘆き、去っていく。男はただ一人宇宙空間を寂しくさまようところでジ・エンド。
 現実が作られた仮想現実だと知った時の衝撃はたまらないものがあるに違いない。

 この映画は主人公ネロが1999年の仮想現実からモーフィアスに導かれ2200年代のコンピュータに支配された現実に引き戻されたところからドラマが始まるのであるが、この1999年の舞台が仮想現実というところがこの映画のミソだ。つまり何でもありの世界になってしまうのだからどんなSFX、アクションがでてこようが、観客は納得してしまう。個人的にはロードショー前から有名だった人物をワイヤーで吊って数十台(もっとか?)のカメラで360度撮ったシーンより、ヘリコプターがらみのアクションシーンに度肝を抜かれた。そのくせ現実世界でのイカの形をした敵の潜水艇と主人公が乗船する乗り物のチェイスシーンのSFXは完全に見慣れたもので何の感慨も起きやしない。
 そしてクライマックスの、時間までにネロが脱出できるかどうかハラハラドキドキのサスペンス。これぞ映画の醍醐味って感じ。
 ダイエットして痩せた短髪姿のキアヌ・リーブスはかっこいいけど、相手役・トリニティのキャリー=アン・モスの吹き替えなしのアクションに心奪われた。音楽もいい。

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1999/09/27

  「バウンド」(ビデオ)

 マフィアの情婦とレズの関係になった刑務所帰りの窃盗のプロ女が、共謀して情婦の男が預かったマフィアの大金を盗もうという話。まんまと大金を手に入れるが、男が予定どおりの行動をとらず、そこからドラマは二転三転。途中から話の展開が読めなくなり、緊迫したシーンの連続で、後半は画面から目が離せなくなった。クライマックスでは思わず声をあげてしまったほど。
 ほとんど室内で進行するドラマで、これだけ見る者を引っ張れるなんて、さすがウォシャウスキー兄弟監督。デビュー作からほとばしる才能が感じられる。
 「マトリックス」に通じるものもいくつか発見できた。ジェニファー・ティリー扮するコーキーはトリニティのプロトタイプか。アナログな旧式タイプの電話にも何か思い入れでもあるのだろうか。




 8月1日(火)は映画サービスデー(ファーストデー)。本来なら、特撮仲間のSさんと「パワーレンジャー」を観に行く予定だった。この夏の公開を知ってからかなり楽しみにしていた映画である。

 ところが8月から僕の(BC二十世紀の)出勤シフトが変わったことでこの目論見がはずれてしまった。これまでの火木から水木へ休みが変更になったのだ。
 上映時間を調べてみてわかったのだが、「パワーレンジャー」は都内のほとんどの劇場で夕方の上映がないのである。配給の東映は何を考えているのか。「パワーレンジャー」の主要客は子どもではないはずだ。かつてスーパー戦隊シリーズを夢中になった子どもたち、大きなお友だちが対象になる。にもかかわらず、夜の上映がないのはどういうわけか。
 せめて、東映の資本が入る(ってますよね?)新宿バルトはそこらへんを考慮すべきではないか。

 東映はこういうことがたびたびある。
 昨年、西内まりやが主演する「CUTIE HONEY –TEARS‐」をやはりSさんと観に行こうとしたら、新宿バルトでは深夜しかやっていない。一応ロードショー作品ですよ!
 本来ならDVD(Blu-ray)作品なのに、格付けのため劇場公開させたということだろうが。

 結局、「パワーレンジャー」はバラバラで観ることになり、僕は1日、仕事を終えてから品川のT・ジョイPRINCE品川のレイトショーに足を運んだ。翌日の休みに地元シネコンで観てもよかったのだが(割引クーポンがあるので1,300円で観られる)、こちらは吹き替えだとわかり遠慮した。金だして吹替なんて観たくない。

 品川の劇場はもともと〈品川プリンスシネマ〉という名称で、セガに勤めていたとき、大鳥居に通ってきたいたときはよく利用させてもらった。知らない間に経営母体が変わったのだろう(ホテルが外部に委託したのか)、T・ジョイPRINCE品川になった。


 アメリカと日本のヒーローの一番の違いは〈変身〉の概念だと思っている。
 スーパーマンにしろ、スパイダーマンにしろ、みな超能力を持った人間(スーパーマンは宇宙人だけど)が、その超能力を発揮するとき、人間のままの姿では支障があるので、それっぽいスーツ(&マスク)を着るわけだ。バットマンは逆にスーツが強化服になっているのだろうか? 普通の人間がスーツとマスクで身を包むことで力を得る、のか。
 日本でも「月光仮面」が、まさにそういうヒーローだったわけだが、「ウルトラマン」の登場でヒーロー像が一新された。
 
 「仮面ライダー」で空前の変身ブームになったわけだが、〈原作〉である石森章太郎のマンガでは、アメリカンヒーローのように、改造人間になった本郷猛がスーツ&マスクを着用する設定なのである。怒りに燃えると顔に傷が浮かび、その傷を隠すためにマスクを被るのではなかったか。

 東映が集団ヒーローものを企画し、「仮面ライダー」同様、石森章太郎に原作を依頼した。それがスーパー戦隊シリーズの第1作「秘密戦隊ゴレンジャー」であるが、色分けされた5人のメンバーというと、その前に「科学忍者隊ガッチャマン」が人気を呼んでいた。少しは意識したのだろうか?

 僕はというと、「科学忍者隊ガッチャマン」には夢中になったものの、ゴレンジャーはバカバカしくて相手にしていなかった。
 5人のレンジャーだからゴレンジャー? なんだその語呂合わせは!! 
 登場する敵方怪人も〇〇仮面といったおちょくったような造形、ネーミング。まあ、対象年齢が低く設定された番組なのだから、中学生が、それも円谷特撮で育った者として容認できるわけがない。
 石森章太郎も、少年雑誌に連載していたマンガを最初はシリアスだったにもかかわらず、途中で「秘密戦隊ゴレンジャーごっこ」とタイトルを改めギャグマンガにしてしまう始末。

 こうして、戦隊シリーズが個人的にまったく縁のない特撮番組になって四半世紀をすごしてきたわけだが、2000年代になって「未来戦隊タイムレンジャー」にハマってしまった。「仮面ライダークウガ」とセットで観ていたところがある。
 その後、また離れてしまうのだが、「獣電戦隊キョウリュウジャー」あたりからまた観だして「列車戦隊トッキュウジャー」「手裏剣戦隊ニンニンジャー」ときて、「動物戦隊ジョウオウジャー」でまたハマった。
 そして今「宇宙戦隊キュウレンジャー」に夢中になっている。
 ちなみに平成「仮面ライダー」シリーズは「カブト」で卒業した。

 ハマる前もハマった後も、このシリーズに対して同じ思いがある。等身大での戦いで一度破れた敵(の怪人)が巨大化してからのシークエンスにまるで興味が持てないことだ。
 戦隊側の合体ロボットはどのシリーズもデザインセンスが微塵も感じられない。特撮も旧態依然で観てられない。
 ロボットデザインに関しては、子どもの情操教育に悪影響を与えるのではとは思うほどだ。

 このまま続けます






 
1999/07/05

 「新幹線大爆破」(ビデオ)

 公開当時、国鉄に撮影協力を得られなかったということや日本の特撮で初めてシュノーケルカメラを使用したことで話題になった。同じ新幹線を扱ってやはり国鉄に協力を無視された同時期公開の「動脈列島」(東宝)より内容的に評論家に評価され、その後フランスで大ヒットした1975年の東映作品である。
 当時から観たいと思いつつ、結局今回初めてのビデオ鑑賞となった。

 「ウルトラQ 地底超特急西へ」と「スピード」を足したような内容で、時速80km以下に減速すると爆破する爆弾を新幹線にセット、乗客1,500名の身代金を奪おうとする犯人側、事故を回避しようと努力する国鉄側、犯人の検挙に奔走する警察側と、それぞれの話がきちんと描けていて、ストーリーそのものはとても面白かった。

 しかし演出のセンスを疑ってしまうところが何ヶ所もある。
 たとえば冒頭の犯人グループの一人、山本圭が夜間、北海道の夕張で機関車に爆弾をセットするシーン。バックには女性スキャットの甘い、なかなか印象的な曲が流れるのだが、これが画面にちっともあっていない。ここは音楽なしに第1の犯行を丹念に描写すべきではなかったか。
 それから国鉄側の人物紹介があって、新幹線操作システムの解説がナレーションで入るのだが、これも唐突な感じがする。台詞で説明できなかったのだろうか。
 音楽に統一感がない。その場その場に合わせて適当に作られている気がしてならない(1曲1曲は印象深いのに)。
 ズームイン、ズームアウトを多用するカメラワークも気になる。

 この映画、タイトルの新幹線が爆破されるかどうかのサスペンスより、主犯高倉健と警察とのやりとり、爆破回避後の逃亡劇の方がメインの物語なのであった。さすが健さん、どの映画でも同じ健さんだけど、存在感が違う。
 ラスト、追いつめられた高倉健が射殺されるシーンでストップモーションになって音楽が…当然冒頭のスキャットが流れるかと思いきや、これまでに聞いたことがない、そこだけに用意された音楽が使用されるのだ。やはりセンスがない。
 今、リメイクしたら面白いんじゃないかと思うのだが。

 豪華キャストの誰もがみんな若かった。そしてみんな熱い。暑苦しいほどだ。70年代の映画(TV映画を含む)の特徴と言えるかもしれない。

     ◇

1999/07/06

 「催眠」(キネカ大森)

 優待券を利用してキネカ大森で「催眠」を観る。
 監督・落合正幸の前作「パラサイト・イブ」は最低な出来だった。「パラサイト・イブ」は原作自体が傑作であり、とても映像的なので読んでいる最中も映画(映像)化についてあれこれ想像していた。葉月りおな主演で一気に興味をなくし、ビデオになっても手にとらなかった。TVで放映されて初めて観たのだが、小説のクライマックス前でエンディングをむかえてしまう作りに唖然としてしまった。売りである特撮(CG)も葉月のバーチャルヌード、疑似乳首のために使われたようでなんとも哀しい。

 ただ小説を先に読んでいなければどうだったかと最近思うようになった。先に小説を読んでしまうとどうしてもイメージを限定されてしまう。どんなにピュアな気持ちで望んでも原作と映画化作品を比較してしまうのだ。
 落合監督の第2弾は新進作家・松岡圭祐のサイコミステリの映画化である。今回は原作を読んでいないから、何の先入観もない。原作の良さを活かそうが殺そうが知ったことではない。要は映画として面白いかどうか、である。

 映画自体はホラー映画として最後までだれずに観られた。それなりに恐いし、物語に引き込まれた。
 しかし、全編にただようグロテスク趣味に辟易する。骨が飛び出し異様に折れ曲がった足、バックするトラックと壁に挟まれて砕かれる顔、釘に打ち抜かれた額、ピストルの弾が貫通する頭、そのものずばりを特殊メイクで再現させる。何とも趣味が悪い。
 ホラーっぽいサイコミステリという認識でこの映画を観たので何の解決もされないラストはどうかと思うし、あまりにも後味が悪い。
 オープニングタイトルも最近のTVドラマのそれが凝った作りで眼を見張るものが多いというのに、いつの時代?と思わせるほどのダサさなのである。TV出身の監督でしょうに。

 それから、これは意識してだと思うが、背景から日本的なものを排除している。屋内、屋外、すべてにおいて欧米風。街の風景も、ロケは都内なんだろうが、全く東京を感じさせない切り取り方。看板までなるべく日本語を使わせない。
 洋画しか観ない若い観客への配慮なのだろうか。それとも単なる監督の趣味か。

     ◇

1999/07/07

 「あの、夏の日 とんでろじいちゃん」(丸の内シャンデリア)

 久しぶりの大林映画だ。尾道3部作以降、いくつかの作品を観て、大林映画は卒業だと思っていた。
 新尾道3部作も別に興味はなかったのだが、この最終作「あの、夏の日…」は某サイトの映画批評で絶賛されていて、原作が山中恒ということもあって劇場まで足を運んだ。
 相変わらずの大林調で懐かしいやら、うんざりするやら。映像以外でやたら饒舌なのが気になった(尾道市市制100周年に対する監督の言葉とか、病魔と戦う少年(少女だったか?)への励ましの言葉とか)が、物語自体はよくできていた。
 冒頭から快調な語り口。小学生の一夏の冒険、異文化との出会い、年上の少女へのほのかな想い……。これはまさしく「ぼくがぼくであること」ではないか。
 小林桂樹と菅井きんがうまい。
 病床のじいちゃんと少年との会話、特にじいちゃんの孫へ生きることに対する喜びを伝える言葉に目頭が熱くなった。これまで反感ばかり覚えた松田美由紀もお母さん役がぴったりはまって好印象。

     ◇

1999/07/14

 「スターウォーズ エピソード1 ファントムメナス」(日本劇場)

 ついに観たぞ!スターウォーズ最新作。1作目が日本で公開されてから21年目に新シリーズが観られるなんて思っていなかった。まさしくサーガ。
 アメリカ公開直後の批評が賛否両論なんで、少々心配だったが全くの杞憂だった。
 一番うれしかったのは海底王国が登場したこと。SWでは砂漠、「帝国の逆襲」では氷の惑星、「ジェダイの復讐」ではジャングルや森の惑星が舞台になっていたから、次のシリーズでは水や炎の惑星が描かれるにちがいないと勝手に想像していたのだ。

 この20年の技術の進化はすさまじい。主要キャラクターの一人がCGで描かれているのには驚きだ。全編目を見張る映像の連続ではあるが、哀しいかな、前シリーズの時のような「この絵はどうやって撮影したのだろう」というドキドキ感、わくわく感はなかった。すべて「CG、デジタル合成」の合い言葉で納得してしまうのだ。本作の賛否両論ってたぶんにこんなところにあるのではないだろうか。
 ポッドレースは「ジェダイの復讐」のスピーダバイクに優るとも劣らない血沸き肉踊るシークエンスだ。

 アナキンと母親との別れ、その時母親が言う「運命は変えられない。夕陽を止められないように」は「帝国の逆襲」ハン・ソロとオーガナ姫の「Ilove you」「I know」に次ぐ名台詞。

     ◇

1999/07/12

 「ケイゾク」(ビデオ)

 現在のTV界ではテレビ映画というジャンルが確実に消滅している。
 80年代の後期、フィルムからビデオに変換する方式がテレシネからFtoT方式になって画像が飛躍的に鮮明になった。フィルムのような暗さはなく、かと言ってビデオの、美しいけれど、どことなく画像が薄っぺいというものでもない。そんな新しい映像で90年代はテレビ映画が生き残っていくのかと思われた。が、VTR機材すべての機能の向上で、あっというまにFtoT方式のドラマが ビデオに取って代わってしまったのだった。

 今、フィルム撮影によるドラマは一部の子供向け特撮番組と時代劇しかない。「水戸黄門」がビデオになった時は驚いたものだ。
 それに関係しているのかどうか、70年代の、たとえば「傷だらけの天使」「探偵物語」、「大都会」シリーズみたいなアクション系の番組がまったく作られなくなってしまった。
 しょせんビデオはビデオでしかない。フィルム特有の陰影のある映像、手持ち撮影による16mmカメラのブレ感覚等々VTRでは表現することができないのだろう、とあきらめていた。
 ところが最近ビデオであの表現をしようと試みているドラマがみられる。その発祥は日本テレビの「金田一少年の事件簿」から始まった一連の劇画原作のドラマだ。この劇画シリーズ(?)にフジの「踊る大捜査線」のテイストを加え、ミステリ仕立てにしたのがこの冬に放映された「ケイゾク」だと思う。

 描かれる事件の設定は稚拙だが、何より中谷美紀と渡辺篤郎演ずる柴田&真山のキャラクターが出色である。
 中谷美紀は鶴田真由の後釜として日石のCFで登場したとき、長い髪と整った美顔、箒を使ったダンスが印象的だった。しばらくは本当に鶴田真由の二番煎じみたいな感じでCFで活躍していたが、女優として確固たるイメージを作りたかったのか、出演するドラマ、映画で濡れ場のシーンが多かったような気がする。そんな彼女が痛々しかったが、「ケイゾク」で一皮むけたと思う。
 渡辺篤郎はヒロインが柴田純という名前からか、ちょっと「大都会パート2」の松田優作を意識したようなツッコミ役を楽しそうに演じていた。
 二人のボケ&ツッコミも愉快だが、捜査過程におけるレギュラー陣の会話がむちゃくちゃおかしい。
 フィルムの陰影を思わせる映像にも酔える。捜査二課の蛍光灯の青を基調とした色彩設計は村川透+松田優作コンビの「遊戯」シリーズを彷彿させる(撮影:仙元誠三)。最終回の銃撃戦ではビデオでもアクションが撮れるのかと驚愕したものだ。

 映画化に期待したい。




1999/06/22

 「39 刑法三十九条」 (新宿ピカデリー)

 こちらが映画に対してイメージしていたものををいい意味で裏切られた。
 ヒロイン香深(カフカ!)役の鈴木京香が少々神経を病んでいる女性で、彼女のまわりの人たち(師匠である大学教授、母親)もどこか変であるところが、いかにも現代を反映していると見た。
 正義感ぶるでなく、何事においても自信のない素振り。精神異常者と精神鑑定者は紙一重であると納得がいくのである。

 健常者が刑法39条を逆手にとって精神異常を偽り無罪を勝ち取ろうとする話は昔松本清張の短編で読んだことがある。小説の主人公は警察側の策略にひっかかり最後の最後で敗れてしまうのだが、この映画も基本プロットは同じだ。決定的に違うのは、この映画では刑法39条の存在意義そのものを問うていることだろう。

 一人の精神異常者に妹を惨殺された男。精神異常者は罪に問われることなく、精神科を退院した後、一般人として、結婚して幸せな家庭を築いている。男の方は妹を殺された悲しみとその原因を作った罪の意識を恋人と共有し、かつての犯罪者への復讐とその完全犯罪にかりたてるのだ。

 法廷シーンの合間に挿入されるすべての原因となった事件の回想シーン。少女の惨殺遺体の全身が映し出されていてショックだった。「トレインスポッティング」の赤ちゃんの死体同様、これまでの常識として観客に暗示させるだけだった死体をリアルに描写することも現代を象徴しているのか。

 事件の真相を回想という形で観客にわからせてしまったのはどうしてだろうか。あれは劇中の進行同様にドンデン返しにした方がサイコミステリとしてインパクトが大きかったように感じる。真相が解明され、ラストに淡淡と回想シーンが流れてもよかったのでは?

 堤真一の二重人格者ぶり、その演技力に圧倒された。役者冥利につきるだろう。その他出演者たちも熱演とは正反対の演技ぶりで好感が持てた。




1998/05/07

 「トキワ荘の青春」(ビデオ)

 市川準監督の「トキワ荘の青春」がテアトル新宿で単館ロードショーされたとき、ぜがひでも観たいと思った。
 僕のマンガ人生は石森章太郎、藤子不二雄、赤塚不二夫といったトキワ荘出身の漫画家たちの作品から始まった。そんな彼ら、若き漫画家たちの梁山泊となったトキワ荘の伝説は彼らの自伝的マンガや書籍等で子どものころから親しんできた。
 何しろトキワ荘関係の書籍を収集するのが趣味の一つなのだ。
 藤子不二雄の「まんが道」がNHKで連続ドラマ化され、評判を呼んだ際、トキワ荘の物語を映画にできないものか、と夢想したりした。
 だから市川監督が「トキワ荘の青春」を撮ると知ったとき、かなり期待した。
 忙しさにかまけて劇場に足を運ばず、ビデオになってもなかなか借りようとしなかった怠惰な自分が恥ずかしい。
 「トキワ荘の青春」は青春映画の傑作だった。
 これはビデオなんかではなくて映画館の暗闇の中で静かにじっくりと鑑賞すべき作品である。

 いわゆる演技というものをことごとく排除し、ドラマチックな展開を拒否した演出と透明感あふれるドキュメントタッチのカメラワークがうまくマッチしていた。
 前半はトキワ荘に集まってきた漫画家志望の若者たちの生活をスケッチ風に積み重ねていく。
 ところどころに挿入される当時の写真が効果的で、昭和30年代初期の東京を鮮やかに描きだされていた。
 プロの漫画家になろうと切磋琢磨する若者たちの群像ドラマとして、マンガに詳しくない観客でも充分楽しめるが、若かりしころの彼らをまがりなりにも(写真等で)知っていると、役者たちが本当によく似ていることに驚く。
 つのだじろう、我孫子素雄、藤本弘なんてまさにそのまんまって感じ。
 主役の本木雅弘(寺田ヒロオ役)以外は一般的にはほとんど無名の役者たちだが、赤塚不二夫役の大森嘉之、森安直哉役の古田新太が光る。
 後半はこの二人がクローズアップされ、漫画家として成功する者、挫折するものの明暗を好演していた。
 編集者役のきたろうが実にいい味だしている。
 
 自分の理想とするマンガを描けない現状への怒り、悲しみを仲間たちと相撲をとりながら、何気なく涙をぬぐう寺田のしぐさに感じて目頭が熱くなった。

     ◇

1998/06/16

 「レインメーカー」(銀座ガスホール 試写会)

 ジョン・グリシャムの小説は出版するたびに次々と映画化され、その都度話題になっているものの、映画自体の一般的評価はそれほどのものでもないという気がする。
 「ザ・ファーム/法律事務所」はトム・クルーズ、「ペリカン文書」はジュリア・ロバーツという人気スターを起用してそれなりに評判を呼んだけれど、内容はというと原作のダイジェスト版といった感じだったのではないだろうか。(「法律事務所/ザ・ファーム」については映画も観ていないし原作もまだ読んでいないので何とも言えないが「ペリカン文書」は圧倒的に原作の方が面白かった)
 第3弾として公開された「依頼人」は「グリシャムの映画化作品の中で一番の出来」と前評判も高かったことからすごく期待して観に行ったらそれほどのものでもなかった(まあ、水準作といったところか)。
 そんなわけですでに原作を読んでいた「評決のとき」は全く観る気もしなかった。

 さて、最新作の「レインメーカー」はあのコッポラの監督作である。主演は新鋭マット・デイモン、共演がジョン・ボイド、ダニー・デビード、ロイ・シェイダーと豪華な顔ぶれで、しかも法廷ドラマだという。
 これはもう面白さは保証されたようなもの、胸ワクワクで観たのだが、また肩すかしをくったようだ。
 主人公である弁護士の卵が簡単に法律事務所に就職したり、資格を取得したりとあっけないオープニングで興をそいだ。悪徳弁護士のボスと純粋な主人公との間に仕事を進めていく上で何か葛藤でもあるのかと思ったらそれもない。
 一番期待していた法廷場面でも、息詰まるような、あるいはあっというような展開は見られなかった。
 何より不思議だったのは主人公が暴力亭主から依頼人の奥さんを救おうとして、逆に亭主をバットで殴り倒してしまうところ。結局奥さんが殺してしまい逮捕されて不起訴になるけれど、直接の原因をつくったにもかかわらす、その場から逃避し、奥さんに罪をかぶってもらったのに、主人公にそれに対する後悔とか動揺がないことだった。
 マット・デイモンのうぶな新米弁護士ははまり役で、相棒のダニーはうまいし、ミッキー・ロークの悪徳弁護士ぶりをもっと見たいと思わせるのに、全体の印象としてはまあまあといったところか。
 音楽の良さが特筆できる。

     ◇

1998/07/01

 「ディープ・インパクト」(丸の内ルーブル)

 この映画の予告編を初めて見た時、藤子・F・不二雄の短編マンガ(確かタイトルは「方舟はいっぱい」だったと思う)を思い出した。
 彗星の衝突(実際にはかする程度なのだが)、予測される地球規模の大災害、政府が秘密裏に推進するノアの方舟政策、TVキャスターによるスクープ、その暴露、避難できる国民の選出、選に漏れた者たちの嘆き、苦悩。暴動、混乱等々、藤子のマンガはその後の大惨事を暗示するところで終わるのだが、「ディープ・インパクト」はその後の大災害(大津波による首都崩壊)のSFXがウリである。
 ミミ・レダー監督は一見その作風に女性を感じさせない。前作「ピースメーカー」はアクション巨編、今回はSFパニック、何も知らなければ、ストーリー、映像ともに、その印象は堂々たる男性ベテラン監督の仕事ぶりではないか。
 しかし本編を観れば、ある部分で女性らしい情感を見せつけてくれる。
 前作は敵役のアメリカ合衆国に対する復讐する動機に女性の視点を感じ、そこが新鮮だったのであるが、今回はクライマックスである大津波襲来前のヒロインと父親の和解するシークエンスにそれを見た。
 ミミ・レダー監督の演出力は「ER」で一目瞭然ではあるがとにかく生半可のものではない(さすがスピルバーグに見込まれただけのことはある)。
 前半のメサイヤによる彗星爆破シーンのサスペンスは息がつけないほど興奮した。
 藤子マンガの印象からあくまでも秘密裏にノアの方舟政策を進めようとする政府と、それを阻止し、国民に真実を発表しようとするTV局との丁々発止のやりとりを描くサスペンスタッチの物語だと勝手に考えていたら、全然違った。
 モーガン・フリーマン扮する大統領は堂々と職務をこなす人物であった。
 「ID4」に続き、この映画でも自己犠牲による地球救助が描かれる。こういう展開って昔は日本の専売特許だったのに、アメリカ人の好みが変わってきたのだろうか。
 核弾頭による彗星爆破だけど、地球への放射能汚染の心配はないのだろうか?




1998/03/13

 「ブラス!」(シネ・ラ・セット)

 単館ロードショーながら静かな人気を呼んでいるイギリス映画。
 なるほど平日だというのに僕らが観た2回目の上映後ロビーでは次のお客さんが多数列を作っていた。派手な宣伝はしていないのだから、口コミによる人気だろう。
 日頃、アメリカ・ハリウッド製の映画に慣れ親しんでいる身としては映像のタッチ、カメラワーク、台詞(イギリス英語)にちょっとした違和感を覚えた。しかしこれも映画なのである。スター主演の大作映画だけが映画じゃない。小ぶりのしみじみする映画を暗闇で観るのもまたおつなものである。

 主演のピート・ポスルスウェイトの役者ぶりを堪能した。「ユージュアル・サスペクツ」のミスターコバヤシ役では全身から醸し出す異様な雰囲気に圧倒された。最初に登場した時は「何者だ、こいつ!」とばかり、この人の顔だけが印象に残った。
 「ロストワールド ジュラシックパーク」の恐竜狩りに命をかけるハンター役では、ティラノザウルスレックスを目の前にしても少しも動揺せずにライフルをかまえる、プロフェッショナルな猛者ぶりを好演していた。
 そして今回のブラスバンドの指揮者役。同じ容姿なのにこの映画では毎日音楽のことしか考えないちょっと無骨な親父に見えるのだから不思議。まさに役者!

 ストーリーはこの指揮者と市民ブラスバンドに中途から入ってくる紅一点の女性(実は石炭会社側の人間)とバンドの若い男性(二枚目)との恋を中心に展開するのかと思っていた。
 実際は指揮者の息子が真の主人公ともいえる存在で、彼の家族の崩壊、生活をとるか音楽をとるかの苦悩、他のメンバーと指揮者の仲介等々の悪戦苦闘ぶりが切実に描かれていた。
 失業するかどうかでバンドのメンバーが練習もままならない状態のまま強豪が多数集まるコンクールで優勝してしまうのはどうかと思うけど、まあいいや。
 夜、ピートが入院する病院の庭でバンドの連中が最後の演奏をするシーン、ラスト、ロンドンから帰るバスの中で皆で演奏するシーンが涙を誘った。
  
     ◇
 
1998/05/05

 「スターシップトゥルーパーズ」(日比谷映画)

 「週刊文春」の映画評でこの映画を取り上げていた。一部の人以外は黒星(観たら損するぞ)をつけていて、白星二つ(観る価値あり)をつけている人でさえ、その好戦的内容に文句をつけていた。実に評判が悪いのである。
 原作であるハイラインの「宇宙の英雄」も発表当時は全体主義だと批判されたという。

 まあ、ストーリー云々よりフィル・ティペット指揮するところの昆虫軍団の特撮がお目当てで観に行ったわけだが、地球連邦軍と昆虫軍団の戦いの残酷描写はすごい。腕や足が吹き飛ばされるのは当たり前、首はちょん切られるわ、頭がかちわられて脳髄は飛び出るわ、そのものずばりをなんの容赦もなく劇画調に描きだす。敵の昆虫も連邦軍のマシンガン攻撃でぐじゃぐじゃになる。スプラッター嫌い、昆虫嫌いの女性にはたまったもんじゃないだろう。(にもかかわらず親子連れやカップルで観に来る連中の神経はどうなっているの?)
 でも連邦軍を米軍に、敵の昆虫軍団をベトコンにしたらどうなるのか? かつてのアメリカの愚行をSF仕立てにしてリアルに描写しただけではないか。
 内容は確かに軍事力賛美である。地球連邦軍の正当性をアピールするTVニュースを随所に挿入して(まさしく「ロボコップ」のノリ)、主人公の若者たちが軍のトップとして活躍しだすまでを描いていてはいるが、それをそのまま素直には受け取れない。
 ポール・バーホーベン監督はそんな世界を戯画化してシニカルに見つめているように思う。
 内容は好戦、気分は厭戦・・・だ。

     ◇

 「エイリアン4」(日劇プラザ)

 封印した映画というのがある。
 僕が勝手にそう思っているだけで他人に強制はしないけれど、『エイリアン3』がまさしくそれで、僕の記憶には「エイリアン3」という映画は存在しない。
 「エイリアン2」はすごい映画だった。前作のストーリー展開を踏襲しながら、テイストの全く違う内容(ゴシックホラー→スペクタクルアクション)にしただけでなく、母性愛を全面的押し出したテーマがストーリーに合致し、何より観る者に安堵と静寂の余韻を与えたハッピーエンドが単なるSF映画を後世に残る感動作にしたのだった。
 にもかかわらずその続編である「エイリアン3」は前作の感動をあっさりと否定しまったのである。
 リプリーが命懸けで守った少女をいとも簡単に冒頭で殺してしまったのだ。エイリアンファンへの冒涜である。
 「2」のラストで地球への帰還の途に就いた少女、ロボット、そして傷ついた兵士は絶対に地球にもどさなければならなかったと今でも信じている。
 一度帰還した後、リプリーが新たな旅にでて「エイリアン3」の物語が始まったとして何らおかしくはない。
 3人を殺してしまったスタッフの真意がどこにあったのか理解に苦しむ。

 さて、「エイリアン4」はタッチが「エイリアン」に似ていてラストも希望にあふれたもので安心した。
 リプリーのクローニングに失敗した実験物がずらっと並んでいるところが一番の衝撃だった。
 エイリアン研究に挑む人間の愚かさをイヤというほど見せつけてくれた。




 今日はネガティブ思考についてお話しします。

 ネガティブというと、どうしてもマイナスイメージがありますが、ここで言うネガティブ思考は物事を対処するときに「最悪の事態が起きたことを想定して、解決法を用意しておく」という思考です。
 
 プロ野球の福岡ダイエーホークスが昨年日本一になりましたが、その陰にネガティブ思考の若手選手の活躍があったということです。
 篠原投手はドラフト2位で入団し、活躍が期待されましたが、1年目は2勝4敗3セーブの不本意な成績におわりました。
 メンタルトレーナーの岡本さんが、先発して速球で打者をなぎ倒すというポジティブ思考の強い篠原投手の考えを改めさせ、中継ぎとしてのイメージを思い描かせたのです。
 つまり、走者が塁にピンチの場合、どんな球を投げるか、そういうことを常に心がけさせ、14勝1敗の好成績に結びつけたのです。

 私事になりますが、この前の日曜日、所属する草野球チームの公式戦がありまして、わがチームは2点差で勝っていたにもかかわらず、最終回に登板した投手がフォアボールを連発、同点にされ、さらにフォアボールをだして負けてしまいました。
 最初、四球を出したとき、もしかしたら押しだしで負けたりしてと思ったんです。これもネガティブ思考なのではないかと思うんです。で、その後の作戦をどうとるか?
 このとき、投手は試合に初めて参加した新人でした。野球の経験が豊富ということで確かに守備や打撃で大活躍だったんですが、ことピッチングに関しては、球が上に上に集まってしまって、ストライクが入らない状態で、彼に最後まで投げさせたのが果たしてよかったのか? 
 それまで好投していた投手を再登板させ、それで四球が出た、あるいは打たれたといった結果の方が、ほかの選手にしてみれば、ある種の諦めがついた、気持ちも切り替えられ、次の大会にのぞめるのではないか、と思った次第です。

 考え方の一つとして、今日はネガティブ思考をご紹介しました。




 昨年の夏、朝はゆっくりできたのできちんと朝食をつくって食べてから出勤していた。
 毎日のようにつくっていたのが冷やし中華。それもダイエットするためこんにゃく麺を使用して。スーパーに行くとラーメン風、蕎麦風、うどん風とさまざまなこんにゃく麺が売っているのだ。
 具の中で少々面倒なのが錦糸卵だが、毎日つくっていると慣れた。調味料はまったく使わず卵のみを使用。それで十分だった。それからハムの代わりにサラダチキン。これがうまいのなんの。

 そんなわけで、BC二十世紀の賄い料理で、久しぶりに冷やし中華に挑戦した。
 具の量を考えて3人前作ることに。某日曜日、一緒に働くW嬢と同じフロアの@ワンダーで主にネット販売商品の写真撮影に精をだすK嬢、そして僕の3人。
 前日にインスタントの麺を買っておいた。僕はごまだれが好きだ。市販のはだいたい3袋入っているので、二人に声をかけたのだが、W嬢はしょうゆ味がいいという。ごまだれとしょうゆ味の二つを購入。
 とにかく具が多かったので、「具だくたん冷やし中華」と命名した。

 翌日、また冷やし中華をつくった。
 前日を同じものでは味気ない。きゅうりを炒めてみたらどうか。もやし&ハムと炒めて卵でとじた。それを麺のうえに。「ゴーヤチャンプル風冷やし中華」と命名した。

 別の日、やはり同じフロアの@ワンダーで働くS嬢にラーメンをつくった。野菜はこちらで調達するから麺だけ用意してと伝えていたら、「ちょうど2食分あった!」と自宅から「昭和の醤油ラーメン」を持ってきた。あの北原照久氏が監修している。醤油味だけど、とてもこってりした味だ。
 食べ終えたS嬢は「おいしかった!」と言って、こう続けた。「かっこいいおじさんにつくってもらったって自慢しちゃおう」
 あの、Sさん「おじさん」は余計だと思うよ。確かにおじさんだけどさ。


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具だくさん冷やし中華

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ゴーヤチャンプル風冷やし中華

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昭和の醤油ラーメン




 「22年目の告白 ~私が殺人犯です~」はとても面白かったが、ぜったいありえない話だと書いた。それよりもっとありえないのが「フェース/オフ」だ。ニコラス・ケイジとジョン・トラボルタ。全然違う体型ですからねぇ、いくら顔をすげ替えてもすぐわかるってもんだ。

     ◇

1998/03/03

 「フェース/オフ」(丸の内ルーブル)

 最初この映画のプロット(顔の交換で善と悪が入れ替わる)を知ったとき、役者冥利につきるストーリーだと思った。
 主役と敵役が演じられるのである。二人の役者が同じ役をやるわけだから、お互いの演技力が評価される危険もあるが(だからこそ役者冥利なのだ)。

 もとは遠い未来を舞台にしたものだったという。ジョン・ウー監督がメガホンをとるにあたって、現代の話に変えた。
 その違和感が顔の移植手術とハイテク技術で管理された刑務所に残ったきらいがある。
 この映画を楽しめるかどうかは顔の移植をすんなり受け入れられるかどうかで決まると思う。未来だったらありえるかもしれないと軽く流してしまうこの部分に対して、現代の話になるといろいろと批判したくなる。(ヘアスタイル、体格の問題等。ジョン・トラボルタ扮するFBI捜査官が任務のため、ニコラス・ケイジの悪人に変身する際、そこらへんの問題は台詞でクリアされているが、その逆はどうも納得いかない。)
 とはいうものの、その後の展開はグーの音もでない。まいった。展開もアクションも文句ない。見せ場が何度でてくることか。緊張の連続である。
 テレビ朝日の某アナウンサーが涙がでてきたというスローモーションの殺戮シーンは「オーバー・ザ・レインボー」の歌声とあいまっておとぎ話のような夢の空間を作り出した。涙はでないがうっとりはした。
 「レザボアドックス」のクライマックスをいただいた二重三重(四重、いや五重か)のピストルによる対峙に快哉。敵の(というか真の主人公にとっては味方の)元愛人の犠牲によって、このピンチを脱出するが、死に際の愛人の言葉がせつない。
「子どもの面倒をみて。悪の道に走らせないで」
 小さい子どもがからんでくるとどうも涙腺がゆるくなる。
 次々とアクションが展開され息つく暇がない。モーターボートのチェイスシーンは「スピード2」をはるかに超えていた。
 ちんぴら風情が似合うトラボルタがなぜ善人役なの?という疑問が映画を観れば氷解する。彼こそ悪人なのだ。
 観終わって言いしれぬ感情が全身を包んだ。アクション映画特有のカタルシスだけでない何かだ。



 だめだ、ダメだ、全然ブログが更新できない。
 前項なんて何日かかって書き上げたか。
 反省。
 なんとか体制を立て直さなければ!

          * * *

 先日(先週か)、テレビ東京「午後のロードショー」で「メン・イン・ブラック」が放映された。BC二十世紀におけると学会イベントを紹介した際、話題にした映画だ。
 劇場で観たのは19年前になる。今はなき新宿ミラノ座で。

     ◇

1998/02/02

 「メン・イン・ブラック」(新宿ミラノ座)

 地球には数多くのエイリアンがすでに滞在していて、それを秘密裏に管理する団体がある。その中の不法侵入・不法滞在するエイリアンを取り締まる男たちふたりの活躍を描いた映画である。
 なんてかっこつける必要はないか。
 大いなるホラ話、バカ話なのだ。巨大バッタ出現!とか手のひらに乗るミニクジラとか、いかにも嘘っぽい写真とともに紹介する海外の大衆紙(日本でも「ムー」などが転載・特集本なども発売)のいかがわしい世界を一流のSFXで表現したといえようか。
 実際映画の中でエイリアンの情報源が街の露店で売っている大衆新聞紙だというエピソードがあり笑ってしまう。

 夜、村中を飛行するトンボの目線でカメラが縦横無尽に動く冒頭のクレジットバック、とある農家の一軒家の向こう側の夜空に流れる小さな流星、それがだんだんとこちら側に接近してきて巨大な火の玉になったかと思うと庭先に駐車していた自家用車に衝突するシーンが印象的だった。
 しかしその他の驚異的なSFXシーンはもう感覚が鈍感になってしまって何も感じない。「CGじゃん、デジタル合成じゃん」と思えばすべてが納得できるのだ。
 このカットはどうやって撮影したのだろうといろいろ想像できた一昔前の特撮映画がなつかしい。  




プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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